用務で久しぶりに北海道の東部地方に出かけた。初めて釧路方面に出張したのは、たしか昭和三十五年の六月頃であったので、今から六十年近くも以前のことである。当時は道路も舗装どころか、せいぜい砂利を撒いている程度であったし、六月といえばやっと雪から解放された後で、轍の跡も深く、乗用車では走れず、トラックの荷台に蓆を敷きあぐらをかいて坐っていた。それでも天気は良かったので、青空のもと新緑のトラック旅行はそれなりに風情があった。

 日本の国土のなかで、本当に開発できるのは北海道ではないかと思っていたので、主計局在勤の間も、屢々同方面へ出張した。主に農林漁業関係を含めて公共事業の視察が多かったが、道路は無論のこと、室蘭、苫小牧、釧路、石狩などの新港、根釧原野のパイロットファームなど大規模な開発事業が目白押しに並んでいた。大陸に似た広大な原野に新天地を築くような開発事業は大きな夢を孕んでいるようであった。

 それから数十年。バブルが弾け、高度成長は消えて、北海道への企業のラッシュは断たれ、道の人口は札幌に集中した。

 狐や狸ばかり出るような道路を造ると非難されたが、今後の旅行でも狐も狸も鹿もいく匹も遭った。鹿はかなり多く、木を齧って困っているということであった。

 よろしい。しかし、こういうような所は道路がなければ容易に来られないし、知床あたりには、かなり大型のホテルも出来て観光客も少なくなかった。

 オーストラリアやニュージーランドあたりから北海道へのスキー客などがかなり多くなっているというし、一次産業が難しいなら、三次産業で食べて行くこともいいので、北海道の将来に希望の灯を消さないようにと思っている。

(2009.6.14)