私は「一日生涯」という言葉を求められた色紙によく書く。それは再び帰らぬ今日という一日を生涯と思って充実して暮すように、というような意味である。

 「一日再び晨なり難し」(陶淵明・雑詩)とか、「一寸の光陰軽んずべからず」、「今日の後に今日なし」、「歳月人を待たず」なども同じような意味であろう。

 昭和二十年終戦後、北朝鮮の軍司令部の主計将校であった私は、ダモイ東京と言って、騙されて乗った船はポンエットに着き、それから三年ボルガ河の支流カマ河の畔エラブガの将校ラーゲルで二年半の抑留生活を送ることになった。

 その間、日本の将兵はただ一日も早くダモイすることのみを念じて日を送っていたが、同じラーゲルにいたドイツの将校たちは長い歴史の間捕虜生活についての観念が違うせいもあってか、とにかくラーゲルの生活をできるだけ快適に過そうと努力しているのであった。

 例えば、軍服を背広のように仕立て直したり、その辺から廃材を集めてラジオを作ったりしていた。ロシアの兵隊用にラーゲルの中に有線放送の針金が走っていたが、それに手製のラジオを繋ぐ。鉄片を集めて磁石の芯を作り、それに銅線を捲き紙を使って音が出るような細工をして、コッソリ放送を聞くのである。もちろんラーゲル内でラジオを聞くことは禁じられていたが、ロシアの兵隊はどうも見てみぬふりをしていた。


(2009.5.31)