社会思想社編に「三六五日事典」(今日はどんな日か)という本を大分前に買っていた。

 その六月四日には次のようなことが起こっている。

 一九二八年(昭和三年)六月四日には張作霖爆破事件が起きている。満州軍閥頭目の張作霖は一九二七年大元師と称して北京政府の実権を握ったが、蒋介石の指導する国民政府軍の北伐に敗れて満州に退却した。

 そこで、国民政府軍の満州進入を憂慮した関東軍は参謀河本大作大佐をして北京から奉天に逃げ帰る張作霖を奉天郊外で列車もろとも爆破させた。

 しかし、野党に攻撃されたオラが大将田中義一内閣は七月一日ついに総辞職することになった。

 張作霖のことについては、最近読んだ浅田次郎の『中原の虹』にかなり詳しく書かれている。張学良はその息子であるが、戦前の私の記憶では抗日の巨頭であった。『中原の虹』には西太后について多くのことが書かれている。あれが事実かどうかは、むろん私にはわからないが、事実であるとしたら、彼女の犯したとされる数々残虐行為とどう結びつけ考えたらいいか、わからなくなる。

 一八七九年(明治十二年)六月四日、九段にあった東京招魂社が靖国神社と改称され、別格官幣大社として国事に倒れた国民をまつる所となった。

 私は、東京の人が昭和に入っても招魂社という名で呼んでいたことを覚えている。今は見られないが、戦前は靖国神社のお祭りと言えば、境内に幾つもの見世物小屋(ろくろっ首の花子さんなど)や曲馬団などがかつていたことを覚えている。川端康成に「招魂祭」という短篇があったと記憶している。

 なお、この日は、東京天文台ができた日、ミッドウェーの冷戦の行われた日、などである。

 又、コーヘン、森本薫が生れ、最澄、田安宗武、土方与志などの亡くなった日という。


(2009.6.6)