漢口の第三十四軍経理部調弁科主計将校の時である。昭和十九年十二月末、石炭、塩などの輸送促進のため北支方面軍司令部に出張を命じられていた私は、昭和二十年一月末南京ホテルで漢口への便船を待っていた。待つこと一週間、やっと一室を確保したからという停泊場司令部の連絡を受けた私は、漢口へ飛ぶ空の便も総軍参謀部に頼んでいたこともあり、その上、どうしてもその船に乗りたくなかったので、見送ることにした。その三日ぐらい後にやっと飛ぶことになった高等練習機で漢口飛行場に降り、司令部に帰隊の報告に行ったら、貴様は幽霊ではないか、と同僚に言われた。私が乗ると言って連絡していた船は莫大な札もろとも九江で米空軍の爆撃で沈められたという。私が船に乗らなかったことが通知されていなかったのである。