つい最近、大蔵省同期入省の友人が亡くなった。早生れであったから、私より一つ若い。この間、森光子放浪記二千回記念の公演を彼女の誕生日に帝劇で観た。私より一つ下である。

 いずれにしても、この頃はよく長生きの秘訣は何かと問われる。その度に、一言にして言えば運ですよ、と答えることにしている。

 私どものように太平洋戦争中に外地の部隊にいたものは、とくに生き残った運を痛感する。

 思い出すことのうち幾つか。

 陸軍の経理部見習士官として、東京師団の歩兵部隊勤務であった私は、北支方面軍司令部に転属を命じられた。それから、総軍、中支と転属を重ね、二十年の七月所属していた第三十四軍司令部が北朝鮮咸鏡南道の咸興に転進し、そこで終戦、その後ソ連に抑留、三年後の八月十四日に舞鶴に上陸、やっと復員をした。

 昭和十七年九月大蔵省に入省した二十七人のうちの最後の復員者として身の不運を歎いた。ところが、私の所属していた東京師団は十九年の六月硫黄島に転進、そこで全員玉砕となったことを引揚後知った。北支への転属がなかったら私も玉砕者の一人であったと思うと、やはり、いくらか運が良かったのかと思った。