山口淑子さんの(私の履歴書)『李香蘭を生きて』を読んだ。先年、日経新聞に連載されたものをほぼ原文で刊行したと書かれている。
彼女は戦後漢奸とされ死刑を宣告されかかったが、戸籍謄本が届けられ、日本人であることが証明されたとして昭和二十一年二月中旬の軍事法廷で無罪を宣告された。
同じ「ヨシコ」ながら男装の麗人川島芳子は満州国皇帝につながる王族であったが、日本の養父川島浪速に戸籍の証明を求めて果されず、昭和二十三年三月北京で銃殺刑に処せられた。四十一才であった。
同じように漢奸と疑われながら運命の差は致し方なかったと思わざるをえない。
川島芳子の記念館が長野にあるが、それを創ったのは穂刈甲子男氏で、たまたま私と同じソ連抑留者であった。最近川島芳子は代りの人が処刑されたのであって、彼女本人は長らく旧満州に生きていた、それには幾多の証拠があるとテレビの特番で報道されていた。義経生存説に似たような話という気もするが、事実なのだろうか。
(2009.5.17)