当時はまだ文化庁ではなく文化財保護委員会であって、演劇に関しては、古典的な芸術の維持発展に力を入れていたので、国民劇場についても歌舞伎を中心とする舞台芸能の殿堂をという声が高く、西欧のオペラなど上演を願う人達と対立していた。
そこで、当時文部担当の主計官をしていた私から二つの劇場を二階建てにして作れないのか、という提案をした。広いスパンを必要とするものを重ねて作ることは、構造上問題がありはいないかと懸念しが、それより、見下ろすような高い建物を作ることは反対だという横槍が入って、この二重構造劇場の案はダメになった。
高さの問題は、近くに最高裁の建物を作る際にも問題となったと記憶している。
国立劇場を作る時、この劇場専属の俳優を養成することも併せ企画実行されたが、家を何よりも大事にしていく歌舞伎の伝統のなかで、うまく俳優が育って行くものがどうかは、当初から懸念されたところである。