米軍から返還された一ツ橋の講堂は当然修復が必要であったが、その際、ステージを舞台として使えるように奥行きを深くしたり、照明器具を整備したり、改修にしては、かなりな多額の予算を盛り込むことにしたのである。

かくして国民劇場第一回の演目は民芸の「セールスマンの死」で、大入満員とあって、大入袋をもらった。中には五円玉一枚が入っていた。そこで、十数年ぶりに滝沢修の元気な舞台姿にまみえた。

 国民劇場は狭いながらも多くの観客を迎えて続けられていたが、やはり国立劇場設立の願望が年を追うにつれて高まって来た。