昔話になって相済まむとは思う 、後日のために置いておきたい一事である。
大東亜戦の戦況が厳しくなるにつれて、国力を挙げて軍事生産を取り組まざるをえなくなり、「欲しがりません勝つまでは」の合言葉で、国民は耐乏生活に我慢せざるをえなかった。
真珠湾攻撃を期として日米相闘うの図となり、戦線が急速に拡大するとともに、補給ルートの確保が難しくなってきた。何と言っても圧倒的に強大な米海空軍の力の前に日本と南方の資源を結ぶ海上ルートは寸断され、あたら海上兵力を喪失し、民間商船の大部分も海の藻屑と化するにいたって大陸縦貫の物資輸送ルートを確保するための大作戦が展開されることになったが、これも失敗に終わりつつあった。