コーヒーとビールは江戸時代になって鎖国後オランダと貿易が始まってから入って来たのである。
日本語の「珈琲」はオランダ語のkaffieの当て字であった。その他の当て字には、可否、滑比、加非、哥非、古蘭比為、各比伊、唐茶など沢山ある。長崎奉行所の勘定吟味役となった大田南畝は『瓊浦雜綴』の中で「紅毛船にてカウヒイというものを飲む。豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるもの也。焦げくさくして味うるに堪えず」と記している。
ビールがオランダから入って来たのは、ワインを常用するポルトガル人と違ってオランダ人がビールを好んだせいと言われている。
建部清庵と杉田玄白とが著した『和蘭問答』には「酒はぶどうにて作り申候。また麦にても作り申候。麦酒給見申候処。殊の外悪敷物にて、何のあぢわいも無御塵候。名をビィルと申候」と表されている。
いずれにして、コーヒーとビールが日本に普及するのは明治になってからである。
余計なことだが、気がついたことを記しておくと、一般に肉体的な労働のきつい人はウイスキー、ウオッカ、焼酎などのアルコール度数の高いものを欲し、段々肉体的労働が軽くなって行くにつれて、酒、ワイン、ビールという順に好みのアルコール飲料が変って行くようである。寒い国から暖かい国へとの変化にも似ている。