楽しみの乏しい収容所にあっては、大勢の観衆(?)を集めてにぎやかであったが、結末はあっけなく閉幕となった。というのも、発疹チフスの発生であった。こういう場合のソ連流のやり方は簡明で、とにかく一人でも患者が発見されたら、その中隊を隔離中隊とし、労働は免除、食事は外から運んで来るという方式であった。その中隊のものは働らかなくていいので喜んでいた。
ところが、患者が一人、二人ではなくなると隔離中隊ばかりが増え、労働要員がなくなって来たので、今度は逆にして、患者の出なかった中隊を隔離して、それまで遊ばせていた中隊を働らかせるようにした。合理的なのかもしれない。が、とにかく、これで野球も出来なくなり、六大学リーグ戦も中止となっている中に九月となり、冬の始まりであった。