音頭をとった私は、選手団のリストを募るとともに所内の縫製工場で働らく仲間に野球のグローブ、ミットなどの製作を頼み、バットは木工場に頼んだ。見よう見まねで何とか道具は揃えたが、一番難しかったのはボール作りであって、皮を縫い合わせるまではよかったが、芯に何を入れるかで苦労した上、芯を真中に落ちつかせることが難かしく、詰り重心が球ごとに違っていて、投げるのに苦労した。

 それでも、リーグ戦開始の当日は余り広くもない広場で、それぞれ手製の校旗を持った選手団の入場式が行なわれ、演劇中隊のブラスバンドが景気をつけた。

 この時は、第一回に早慶戦を持って来た。慶応チームはピッチャー成田、キャッチャー酒井と期せずしてかつての神宮のバッテリーが揃って登場、他のメンバーも六大学で神宮か、慶応商工で甲子園に出た選手であり、早稲田のチームも六大学か早実で出た選手で、試合もそれなりに昔とった杵柄、見せるものがあった。

 何試合こなしただろうか。東大は選手数こそいれ、ここでも一番弱かった。