日本のプロ野球のチームはそれから二年後の昭和十一年に東京巨人軍が発足したのが初めだったと記憶している。
いずれにしても、当時は六大学の野球選手が花形だった。宮武、腰元、三原、水原、牧野、本郷、山下、若林などうろ覚えだが幾人もの選手の名前が浮かんでくる。
六大学のリーグ戦と言えば、神宮球場を湧かしたもので、応援団の合戦も華やかであった。なかでも、早慶戦は大へんなイベントで、両チームの戦績に拘わらず、リーグ戦の棹尾を飾る試合となっていた。有名なリンゴ事件で一時休戦となったことはあったが、例年、早慶戦の終った後は、応援団が慶応は銀座、早稲田は新宿に繰り出し、「陸の王者」と「都の西北」の歌が盛り場を圧して夜遅くまで響いていた。
私たち旧制高校の仲間はなぜか慶応の贔屓が多く、早慶戦の夜となれば銀座に出ては、慶応のOBたちと一緒にバー巡りをしていた。どこでも先輩が陣どっていて、そこの勘定は一切持ってくれていたので、それをいいことにして一緒に「陸の王者」で乾杯を叫んでいた。今は昔の物語ではあるが、あの頃は、世の中何となくおおらかなところがあったものだと思う。