この年になるまでに随分多くの人の死を見送っている。

 長い短かいはあっても入院している友人の病状を聞き、見舞に行かなければと思っていても、親しい人であればある程何と言って慰めたらいいか考えあぐねている中に時が経って明日をも知れぬと伝えられる。

 そこで重たい腰を上げて病院に見舞う。さて何と言うか。「一日も早く元気になって又一緒に飲みましょうよ」ぐらい言いたいのだが、もうかすかにつぶやくようにしか言えない病状の友の顔を見ると、何とも空々しいことを言うのか、と、相手も思うのではないかとさえ思えて、つい口ごもって仕舞う。ただ顔を見てうなづき、元気でね、と言うのが精一杯。これが、或いは今生の別れかと思うと、胸中はまことに切ない。

 「いや、ね、又、来るからね」と言って手を握るとその手は氷のように冷たかったりする。

 だから、私はお見舞が嫌なのである。しかし、行かなければと思って出かけると、数日後に訃報を聞いたりする。

 先日も四十年も親しくしていた友人が亡くなった。その数日前病院に見舞った時は、もう何かしゃべっているが言葉になっていない。奥さんが、先生の名前を呼んでますよ言われて、ああ、そう言えばそうも聞こえる、といった状態であった。病室の扉を閉めてエレヴェーターに向う間、私は、涙を耐え切れなかった。

 かなり以前から、新聞が来るとまず死亡欄を見る。名を知っている人が前より少なくなったのに気がつく。私より若い人が多いのは淋しいものである。

(2009.5.5)