東京新聞(五月六日付朝)の「あの人がいた街」という欄に築地小劇場のことが記されていた。
大正十三年に建てられたこの劇場は昭和二十年に戦災で焼失するまでの二十一年間、「激動の昭和の盛衰を見届けたのだった」とある。
大正十三年六月、小山内薫と土方与志を中心に創立された同名の劇団は、自由に公演できる自分達の劇場の建設を企図した土方が私財を投じ、小山内、友田恭助、和田精、浅利鶴雄、汐見洋らを同人として小劇場を建設した。
この劇場は、「演劇の実験室」、「演劇の常設館」、「理想の小劇場」、「民衆の芝居小屋」などという標語の下にスタートした。
当初の劇団には、上記の人々の他、青山杉作、千田是也、山本安英、田村紀子、竹内良一、夏川静江、丸山定夫、小堀誠、北村喜八などが名を連ねていた。
いろいろな経緯もあり、又、メンバーの離合集散があったが、「築地以前の新劇運動はこの築地小劇場に至って初めて結実したという見方も許されるほどこの劇団の新劇史上に占める位置は大きい」とされている(以上、主として明治書院『現代日本文学大事典』による)。