水上勉さんの若狭物語の一種であって、生徒を集団就職のため都会に送り出した中学教師が教師を辞めてから最後の指導に訪ねた生徒の生き方を記したもの。

 寺の小僧の頃から苦労を重ねた勉さんでなくては書けないような都会の底辺の女の生き方が克明な筆で描かれている。

 同い年で、成城の家も近所であった勉さんとは時にふれて一緒に夜遅くまで酒を飲み交したり、軽井沢でゴルフをしたり、バカ話をしたりした思い出がある。最初に会って親しくなったのも銀座のバアであった。

 「相沢さん、あなたももう充分長いこと役所で働らいてきたのだから、これからは、政治家になろうなどと考えないで、一緒にゴルフなどしてのんびり暮らしましょうよ」と薦められたが、結局、その言には従わないで、三十年政治家としての苦労をした。

 その後、軽井沢から先の小諸に居を移し、竹紙を漉き、骨壷を焼いたりして暮していた彼の字を訪ねたのは、訃報を聞いた数日後であった。

 そっくりそのままの書斎の机の上には懐しい黒ぶちのメガネが遺されていた。