富士山麓オウム鳴く
この「鳴く」は事件後に「泣く」に変わり、そして今は「無く」ということなのだろう。
まあ、もう一桁加えるなら、「富士山麓オウム鳴くな」ではあるが。
それにしても、この著者の半生が悲惨すぎる。
一般人にとっては、こんなのドラマでしか見たことない、みたいな。
しかし、不思議なことになぜだかオウムとの縁があるように見える。
オウムはエリート集団のように思われている面もあるが、実際にはその数はそれほど多くはない。
それよりもむしろ、この本の著者のように理不尽な人生を歩んできたタイプが結構な割合で存在している。
この本の著者がオウムに入信するかどうかの違いは、ほんの僅かなものであったように思う。
それは、この人が精神世界に興味がなかった。
更に言うなら、精神世界に対する才能が無かったからということだ。
当時は、バグワンやクリシュナムルティといったニューエイジブームが起こっていたときである。
もし、早い時期にほんの僅かでも興味を持っていたなら、入信していた可能性は高かったと思う。
なぜなら、当時麻原が神仙の会で説いていたのは、ダライ・ラマの本のタイトルと同じ「愛と非暴力」だったのだから。