私がどこにいるのかと探してみても見つからない。
この事に気付くのが第一歩である。
私は確かにいるはずなのに、実際にはどこにもいない。
いるのにいない。
まるで量子力学のような、矛盾するこの現実に目を向けることが出来るのは修行者だけである。
私という主体(見るもの)が、肉体に付随する感覚器官を通じて認識しているこの世界・対象(見られるもの)の中には私はいない。
自分の手足・身体も見られるものであって私ではない。
鏡に映る私、私が見ているものは単に鏡であるに過ぎない。
他人が見ている私、他人は私が見ている対象の一部に過ぎない。
当然に他人が見ているものもまた、対象の一部である。
頭の中を探してもいない。
胸の中を探してもいない。
私は、この世界のどこにもいないのだ。