カルマの法則と輪廻転生15 | 法友(とも)へ

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エゴを滅する実践、すなわち我を滅する実践が修行である。

 

繰り返すが、無我は我、非我も我だが、真我は我ではない。

 

我が真我になるのではない。

 

我がなくなった後に残るのが真我である。

 

そして、我が消えてなくなるのを見ているのが、純粋観照者たるプルシャである。

 

が、しかし、プルシャは真我そのものではない。

 

 

で、ここまでの事を最初に理解してから、修行を始めるべきである。

 

当たり前の話だが、解脱とは何かを知らずして、修行とは何かを知らずして、いったい何をどうしようというのだろうか。

 

一般的な話として、目的を達成するために必要なのは、そのための正しい方法を知る事と、そのために必要十分な量の努力である。

 

しかしそれ以前に、自分の目的が何なのかを正しく理解しておく必要がある。

 

 

理解出来ずに修行を始めてしまうと大変な事になる。

 

なぜなら、修行が進めば進むほど、現世が崩壊しどんどん不幸になるからだ。(笑)

 

我、つまりエゴが喜ぶのが、現世が豊かになり貪りを増大させることである。

 

その真逆が修行者が進む道。

 

 

さあ、唱えるがいい。

 

「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。」