帰依⑨ | 法友(とも)へ

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一番最初のシヴァ神であっても、後からの真理勝者であっても、どちらも全く同じ同一の存在である。


それは完成されており、変化しないものである。


相対的な世界においては、弟子が師匠を超えるという事が起こりうるが、絶対の世界においてはそれはない。


さらに、絶対の世界においては個人のオリジナルの何かというものも存在しない。


それゆえにシヴァ神は、偉大なる・完全なる・絶対なる、と称えられる。



が、しかし、シヴァ神は幻影に巻き込まれることがなく、欲六界に落ちることはないので、人間たちはその教えを受ける事が出来ない。


過去において、ティローパはシヴァ神が人間界に降りて来たものとされているが、それ以外にはそのような機会はない。


さあ、どうする?


で、ある。



この答えは簡単で、実はシヴァ神はたくさんの身体を持っている。


金剛身、本性身、報身、法身、変化身。


それらのひとつではない身体のうち、欲六界で活動する身体が変化身である。


欲六界で活動する身体があるからこそ、人間はシヴァ神とコンタクトを取ることが出来る。


そして、このシヴァ神の変化身の事をグヤサマジャと呼ぶのである。



グヤサマジャは修行者としての完成形であると同時に、弟子たち修行者の目指すべき理想形でもある。


それゆえ、修行者はグヤサマジャに変化する。


と観想する。



これは、日本の密教における金剛薩埵と似ているかもしれない。


修行者としての基本形であるが、オウムではヴァジラサットヴァは重要視されていない。


魔を破壊するという意味では、やはりマハーカーラーの方が上位である。



そして、ツァンダリーにおいて、修行者はグヤサマジャに変化してダキニと交わるのだ。