変化身のマルパ⑬ | 法友(とも)へ

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「マルパの変化身」と「変化身のマルパ」は別の物である。


この事は他の言葉に置き換えてみれば簡単に分かる。



例えば、「村上春樹の本」と「本の村上春樹」


または、「天然の水」と「水の天然」


そんな事言うてるあんたが天然や~、という話ではあるのだが。(笑)



世の中というものは、論理的に考えることが苦手な人が実に多い。


トゥー先生の「中川はネットをやっています。」


という言葉を、無思考のまま否定してしまう。


論理的に考えれば、中川が誰とも面会できないという事実があるにもかかわらず、誰かと面会してその情報を得たのだろうと決めつけてしまう。


これをマインドコントロールと言うのだが、マインドコントロールされてしまっている人はその事に気づかない。



論理的に考えれば、「変化身のマルパ」の部分を「マルパの変化身」と言う言葉に変えると、意味が通じなくなる事が分かる。


なぜなら、変化身はこの現象界で活動する身体ではないからである。


変化身を使って、現象界に肉体を現すことはある。


しかし、普通の人間がその存在を知覚することなど出来るはずもない「マルパの変化身」そのものが、交通事故の交渉など出来るはずがないのだ。



従って、「マルパの変化身」ではなく、「変化身のマルパ」が正しい日本語、ということになる。(笑)


まあ、これはオウムの教義の中でも、基本的な事に過ぎないのだが。