全能者のパラドックス。
サイコパスⅡの根底にあるテーマとなっている。
しかしまあ、西洋人という奴は、こういうことを考えるのが好きだねえ、と思う。
こんな事をいくら考えても、思考の中に答えは無いのにな、と思う。
まあ、全能者の定義が問題であり、もしかすると全能者という日本語訳が間違っているのかもしれないが。
その点、東洋人は西洋人と違って、この手の問題を正しく考えることが出来る。
などと思ったのだが、実はそうではなかった。(笑)
シャカムニの弟子たちも同じように、思考の罠に嵌ってしまっているではないかいな。
真我を無我なのかと考えたり、非我なのかと考えたりしている。
真我だといっているのに、思考が真我ではないものからスタートしてしまっているのだ。
これでは永遠に正解に辿り着けない。
出来の悪い弟子たちばかりでシャカムニも随分苦労したと思うが、それで仕方なく真我とは関係のない回りくどい方法を考えて弟子たちに伝えた。
シャカムニ自身が実践したのとは違う方法であるにもかかわらずだ。
その点、オウムの教義の根幹をなすものは真我独存である。
これは非常に分かりやすい。
そして、真我の概念を理解できずにオウムの教義について語ることは、全能者のパラドックスに陥ることになるだろう。