コメントがあったのでついでにこれも書いておこう。
前に書いたが、麻原が説法で言っていたのは、修行者は性欲絶倫でなければならないということである。
勘違いしている人も多いかもしれないが、性欲というのは単なる肉体的な反応である。
修行上の問題というのは、性欲そのものではなく、心がそれに執着することである。
で、麻原がもうひとつ説法で言っていたのは、修行者は面食いではなく身体食いでなければならないということである。
なぜなら、顔を見ても性欲は起きないが、身体を見れば性欲が起きるからである。
そして、性エネルギーを強め、上昇させツァンダリーを起こす。
これがタントラヤーナの煩悩を使う修行システムである。
小乗においては、性欲を喚起させる女を不浄のものとしている。
ところがタントラヤーナでは、修行のお手伝いをしてくれる素晴らしい存在として捉えるのだ。
まったく対照的な考え方なのだが、オウム真理教の根幹はもちろんタントラヴァジラヤーナである。
性欲を喚起させてくれる全ての女たちに感謝、なのである。
まあ、しかし、歌にもあるようにタントラの道は厳しいので、誰にでも出来ることではない。
その場合は、小乗の道をいくしかない。
そして、もうひとつ。
麻原とダーキニーたちの接点である。
麻原は目が見えないが、耳が聞こえないわけではない。
ひとつの例としては、シークレットヨーガがある。
このときに声を聞くことが出来るし、名前も知ることが出来る。
そこで、その女性信徒が部屋を出て行ってから、麻原は周りにいる幹部達に色々と聞くのである。
「○○さんは、どんな人なんだ?」
ここで、石井や飯田が「美人です。」と答えたりする。
さらに、麻原は「骨盤は大きいのか?」と聞いたりする。
というわけで、麻原の愛人達というのは、麻原の好みというよりは女性幹部達の好みということになる。
あ、そうだ、それともうひとつ。
麻原が美人好みだとする根拠のひとつとしてたまに見かける、ソーナーの「私は美人じゃないから。」発言。
これに関して言えば、僕の記憶する限り、麻原はそんな事を言ったことは一度もない。
ソーナーには美人だとかブスだとかではなく、幹部になれない致命的な欠陥がある。
ただそれだけのことだ。