ヴァジラヤーナ⑬ | 法友(とも)へ

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オウムの教義では、麻原は救済者であるので、全ての魂をマハーニルヴァーナに入れてから、自分が最後にマハーニルヴァーナに入ると言っている。


なんて素晴らしいんだ。


ということは、当然来世はニルヴァーナには入らずに輪廻転生することになる。


オウムの教義ではカルマの法則は絶対なので、輪廻転生する限りはカルマの法則から逃れることは出来ない。


なぜなら、カルマの法則から逃れるということは、輪廻転生しないということを意味するからだ。



つまり、次の結論が導き出されることになる。


麻原は今生において大量殺人という殺生のカルマを積んだ。


よって、来世は地獄に落ちることになる。


弟子たちも同じく地獄のカルマを積んでいるので、当然のごとく地獄へ落ちる事になる。


方便に惑わされること無く、忠実にオウムの教義に従って考えるなら、これ以外の結論はない。



つまりヴァジラヤーナとは、弟子たちを地獄へと落とす教えだということになる。


これにタントラヤーナ、目的のためなら嘘をついてもいいという考え方が加わる。


弟子たちが自分が地獄に落ちることを理解した上で、グルの指示を実行に移すのなら、それはそれで仕方がない面もある。


しかしタントラヴァジラヤーナは完全な騙し討ちである。


そして地獄へ落ちて、文字どおり地獄の特訓を行うことになる。



麻原は全てを理解した上で、自分から地獄へ落ちるというのだから文句はあるまい。


しかし、事実を知らずに地獄へ落ちる弟子たちは、果たして納得できるのだろうか?



オウムの教義において、ヴァジラヤーナはひとつの生で最終地点にまで到達することを可能にする、最短の道であるとされる。


しかし、失敗すれば地獄に落ちるということになっている。


これは当然のことだろう。


地獄に落ちてからが修行の始まりなのだから、抜け出せるなら最短の道。


失敗すれば地獄に取り残されることになる。



これを厳しいと考えるかどうかは人それぞれだと思う。


まあ、それがタントラヴァジラヤーナのグルというものであり、地獄に落とすことがグルの愛だということになる。


ヴァジラヤーナにおけるグルの愛というものは、小乗や大乗の愛とはかけ離れているのだ。


つまり、小乗や大乗を基準に考えるのなら、ヴァジラヤーナにおいては、グルから弟子への愛は無いということになる。