【 本物の 兄弟愛 】




愛の掟を知らないで
この世に執着し続け
貪欲な心に縛られた
ご利益信仰は不幸だ

この世のしがらみの
奴隷として生きれば
神の国の真実を悟り
愛に生きる事はない

もし仮に例えばそれが
クリスチャンだったら
なおさら悲惨でもある

キリストの名をかたり
神の国の民を自称して
誇らしく振る舞い語る

しかし主の愛を知らず
この世の欲と罪に溺れ
苦悩煩悶し身を焦がす

形だけで愛そうとする
非常に哀れで惨めな人




神を冒涜する人は
救い主を侮辱して
聖霊を辱めている




なぜ人は欲にかられて
イエス様を殺すことに
平気でいられるのか?

主が自分をその座から
引きずり下ろすとでも
思っているのだろうか?



もし本当にそういう人が
この世にいるとするなら
あまりにも哀れで惨めな
非常に器の小さい権力者

恐れる必要は
全くないのに
無駄に怖れて
怯え続ける者

そんなんじゃ駄目
そんなんじゃ無理
そんなんじゃ無駄
そんなんじゃ愚図


本物の愛情を持つ人は
信仰の種類に関係無く
天から喜ばれている人

自分の宗教しか知らず
他人を裁く人がいれば
真に主の愛を知ってる
人であるとは言えない



人間には分かることと

分からないことがあり

それさえ真偽が不明で

曖昧なまま放置される


分からないことを自覚

出来ているなら良いが

分からない自覚が無く

知ってるつもりでいる


実にこれは滑稽であり

危険と隣り合わせ状態


分からないことでさえ

分からないと悟らない


謙虚さはどこにもない


主の弟子として生きて
兄弟愛を生きる必要が
全てのクリスチャンに
例外なくあるけれど

そこまで至らない
未熟な信仰者は
本当に可哀相

キリストの名を持っている
真実の神の王国は霊的な国

どれほど幸せと喜びなのか
人間には分かるはずもなく
天の恩恵は無限に大きい

イエス様が福音で言われた
国はこの世のものではない

全ての権力は
この世の富に
執着する者が
勝ち取ろうと
苦闘している

天の国もまた
激しく襲われ
強く求められ
奪い去られる

この世は滅びゆく
運命にあるけれど

それを求める人には
与えられる事になる

金にこだわる人には
いつか滅びるだろう
人に残され任される


イエス様は貪欲な金持ちに
隣人への聖なる掟を教えた

改心して本当に
悔い改めた人は
貧しい人を助け

富への執着からも
解放されていった

心に真の自由と平安を
得ることが出来たので

永遠の豊かさを見出し
滅びない富を獲得した

手を黄金の流れに浸して
富を得たにもかかわらず

貧しさの中にとどまる道を
あえて選んだ多くの人達は
この世の富に縛られている
哀れで惨めな滅びる人より
はるかに幸せを感じている

偽り者は悪魔にそそのかされ
誘惑に負けて堕落したけれど

真実の神の愛に目覚めて
滅びぬ富を獲得したいと
心から願い立ち上がった
神の王国の勇敢な戦士は


たとえ一人だけであっても
富を沢山持った人達より
この世で現実に働いている

多くの富を求めなくても
真実の宝を天に積む人は
多くの涙を拭い去るため
哀れな人に平安を与える

そして彼らは
一人だけでない

一人の牧者の群れ
聖なる神の家族

この世で恐れるものは
もはや何もないので
主と共に復活して
永遠の命に生きる












【  闘う強い戦士 】




全て神様の仕事には

タイミングがあり

人はそれに合わせて

行動して行けば良い


自分が出てしまうと

せっかく与えられた

素敵なプレゼントも

壊してしまうから




無償で提供されている

せっかくのギフトを

拒否する事は残念


恵みを待ち受けるだけ

という姿勢でいたら

貴重な価値も壊れ


自由意志で選択もせずに

理性で判断しないなら

知恵は活きてこない




忠実に聞き従う者は

雄々しく振る舞い

積極的に行動する


主の愛は自分から

つかみとるもの




人に救いの福音を

伝えたいにしても

自分に何を問うか?


イエス様みたいに

聖なる人になりたい?




清く優しく力強いのは

エバンジェリストなら

当たり前だの当然だと

ぶち怒られてしまう


人に愛を伝える人は

どの様にして生きるか


神様の助け無しには

何も出来やしないし


聖霊の導きが無ければ

どこにたどりつくのだろう




本当に必死になって

天に祈り乞い求めているか

自分の力だけでやってないか


まずは切実に求め続けること


毎日毎日を願い求めて

神様によく祈りこむこと


どれだけ立派に振る舞う

説教者や伝道師たちも

深く深く神様と交流して

祈り求めています


闘う強い戦士たちは

いつも準備をして

武器や防具や

平和の靴などの

足ごしらえも確実


人々に福音を宣べ伝える

ためにも旅の支度は大切


そして何より

神様に至るための

心の旅にも出かけます


自分と闘い

悪魔とその誘惑にも

闘い打ち勝つ力強さが

必要になります


この世の試練を克服すれば

今を人として生きながらも

永遠の神様に出会えるのです


この世には

タイミングがあります


神の時が来れば

全てが明らかになり

真実も解き明かされて

恐れも迷いも無くなります



神様に近付き

恵みを待ち受ける

だけでは満足しません


つかみとりに行く

積極的姿勢を示さないと

天の道具として使われません


強い戦士たちは

人への愛のために

闘いながらも

自分をみがいて

鍛えています


強くなりたいのは

大切な人を救うため


いつもかげひなたなく

努力する事を惜しみません





神様の力を持って
/212rie/entry-12411749108.html
(パスターリエの記事より)



【神様の力】

人生は色んな事が起きます

どんなショッキングな状況も
その後どのように展開するか
神様にしかわかりませんけれど

怒りや悲しみも
喜びや楽しみも
強い感情が湧き
心が騒ぐ時にこそ

一呼吸して落ち着いてから
柔軟に対応する事も必要です

肝心なのは自分自身を
見失ったりしないこと

そしてもっとも大切なのは
自分の命を救ってくれた方の
恩義に感謝して生きることです

人生の中では吹き荒れる嵐を
どう切り抜けて大事な命を守るか
ということも課題かもしれませんが

どんなに困難でくじけそうでも
信じる事を決して止めない力強さ
というものを要求される事でしょう

晴れの日に優雅に舞う姿よりも
雨の中で挫折せずに踊れるかが
重要な時というものもあります

あの時やめておけばよかった!
と反省してみじめになげくより

あの時やっておけばよかった!!
という後悔の方が切ないものです

もしかりに、たとえば人を裁いて
あれをしてはダメだ!これをしろ!
と批判や非難で指図したとしても

本心から理解して無いとまた再び
同じような過ちや失敗を犯します

だからと言ってかしこまって
恐縮してばかりでも始まらない

もしイエス様に出会えなかったら
今のこんなに幸せな人生は無いと
感じている人も沢山いるでしょう

心からの感謝の気持ちですけれども
言葉や行いで表わしてない人ほど
恩義を思う気持ちも薄らぎます

イエス様はどんな罪深い者でも
追い返したりはしませんでした

本人が求める限りは引き上げて
救い上げるようにしていました

それが救い主の使命だからです

どんな悲惨な心の状態だとしても
主は嫌悪を持ったりはしません

イエス様はサタンとその業を知り
人間とその弱さも知っています



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神が私たちに与えて
くださったものは、
おくびょうの霊ではなく
力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、
私たちの主を
あかしすることや、
私が主の囚人であることを
恥じてはいけません。

むしろ、神の力によって、
福音のために私と苦しみを
ともにしてください。

テモテへの手紙 第二 1章7~8節



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おくびょうは、
神のギフトではない。

私達を憐れまれ、
力と愛と慎みの霊を
主が与えてくれました。

強さも優しさも
神様に与えられた
愛によるお恵みです。

慎みの霊があるから
傲慢になる危険を避けて
へりくだることもできるし

肉欲やあらゆる罪からも
解放されて自由になれます。

神様がいるからこそ
苦しみ中でも強く優しく
生きることが出来るし

清さを求め 聖なる人に
なろうとも 思えるのです

暗闇のような中でも
神様の力をもって 大胆に
進みでて行きましょう

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