裁くのは 神様の業
{CFC4D025-E471-4CA9-ABC8-DE104C6BA2B5}

人を裁くのは非常に悪い事です

良かれと思って人を裁く事も
場合によってはあるでしょう

しかし当事者は人を裁いている
自覚が全然なく理解してません

正義を振りかざして他者を裁き
自己満足で自我と欲に従うため
人から恨みを買う事もあります

裁きを下すのは
神様のなさる業

相手を寛容に許して抵抗せず
喧嘩腰の挑発に乗るのではなく
必要以上に関わらない事も大切です

無視や侮蔑や放置ではなく
相手にしなきゃ良いだけ
勝手に自滅するまで
ほっときゃ良い

いわゆるスルースキルとは
華麗に振る舞う事によって
敵の攻撃を受けずに済ませ

避けたり交わしたりもせず
完全に別次元の世界に上り
逃げ隠れもせず正々堂々と
天の道へと進む勇猛果敢さ

天の仕事をする人には
悪の妨害は当たり前です
仕事に従事するだけでなく
重責を担う任務を遂行すれば

足を引っ張る敵の相手を
している暇なんかないです


戦いに勝つというのは
必死に格闘する事なく
完全無敵に優位に立つ
という事も可能です

天なる父を神として尊み
新しく生まれ変わった
真に信仰のある人は

救い主と同じ心を
継承しています

イエス様は十字架を
自分の意思で担われ

全人類の罪を背負い
永遠の命と幸せを
約束されました

その弟子であれば
誰に何を言われても
取り乱したり感情的に
高ぶって偉ぶったりなど
一切してはならないのです

身に覚えのない
言われなき悪口や
批判されたとしても
いつまでも恨まない事

人は間違う事もあるし
謝ったら許さなきゃダメ

そもそも初めから
正義や真理や律法を
無理に押し通そうとして
攻撃して来る相手に対して

迎え撃とうとするから
余計な問題に巻き込まれ
無駄で無意味な時を過ごし

本当に大切な仕事も
おろそかになって
敵の思う壺です

喧嘩の花道に
出しゃ張るのは
暇な人のお仕事です

重要なミッションを
抱えている多忙人には
そんな争ってる時間なんて
もったいなさすぎます!

やる事は山程ある!!!
やる事ない人ほど
簡単に人を裁いて

便所の落書きにも
心を騒がせてます

人の事がそんな
気になるんなら
自分の心の中を
綺麗に掃除して
片付けましょう

世間の人でさえ
ビジネスシーンで
真実で誠実で忠実な
人間関係構築が不可欠
だと悟って実践しています

神の名を盾にしていても
肉の目で人を善だ悪だと
地上的に判断していたら
大きな仕事も難しいです

神の目で人に愛の心を向け
自分の十字架を背負う人は
誰も裁いたりはしません

恨みを買ったり
信用を落としたら
回復は困難でしょう

日頃から大切なのは
信頼関係の構築であり
柔和で自制心のある
強く優しく明確な

責任を果たす態度です


あなたは右の手のしている事を
左の手に知らせない様にしなさい

とイエス様から言われている通り
人前で賞賛されたくて善業をしても
神様は行為でなく心を見ておられます

だからと言って陰に隠れて人知れず
謀議を巡らし策略を遂行する人は
光の灯火を闇に眠らせる愚か者

ならばどうすれば
良いのだろうか?

天の父なる神様は
隠れた所の行ないを
見ておられます

人はそれを忘れてしまい
形式や概念や理想にこだわり
迷信や無知蒙昧な妄想家同様な
愚直で極端な過大行動をとります

生活の全てを見ておられる神と
共に働き共に人を愛するためには

誰も気にしていない時であろうと
肉を働かせる機会を作る事なく
自我の世界で感覚を満足させ
優越感に浸る事もしません


丹念に熟慮吟味して
理想の実現を目指し
我も彼も棄て去って
単に主の心と一つに

最適効率を迅速丁寧に
愛の心で実行する事です

右手左手の区別をつけて
人を裁いて良いなんて事を
いつ誰が言ったのだろうか?

右手も左手も足も頭も心臓も
共に働き一つの目的を明確に
実践行動する上で必要な課題は
考えでも感情でも結果でさえなく

神様による計画が
実現される事です!

人には神の心は完全には
理解出来ないかもしれない

しかしながら人には愛の心で
相手を大切に思いやる事が
出来ると知りましょう!

右手と左手が喧嘩せず
相手を大切に尊重して
思いやりの心を持てば

愛そのものである神の心も
いつか理解出来るでしょう

知られない様に
知らせない様に

というイエス様による
言葉の本当の意味は
どういう事でしょう?

救い主は十字架を背負う前に
神様に願い求めて祈りました

「わが父よ
できますならば
この杯を過ぎ去らせてください
しかし
わたしの願うようにではなく
あなたのみこころのように
なさってください」
(マタイ26:39)


イエス様は神様への祈りの言葉を
弟子たちに向けて残しています


「わたしたちの天なる父よ
 みこころが
天で行なわれるように
地でも行なわれますように」


人が何をしていようとも
平安を失ってはいけない
心を騒がせてはならない

神様の計画が実現してこそ
人の仕事に意味もあります

人には神の目が備わってないので
他人の心や考えは完全には理解が
出来ません

服従させて操作したりすると
洗脳や精神支配と同じ様に
人権侵害の大問題でもあり
神の愛とは異なります

後継者の育成や
弟子の訓育鍛錬も
強制的に無理強いさせても
良い実りにはならないでしょう

愛の心と思いやりで
人を導く事が大切です

裁くのは 神様のなさる業です

{F4B0905F-DC85-4D85-AF80-A9FBC65740BD}

{A0FBEBE5-1B61-4A5E-A697-B4B34B9B5ABC}