【 優しくて、強い。】

「あなたって、そんなにハードなのに、
なぜそんなに ジェントルでいられるの?」

「厳しくなければ 生きていけない。
優しくなければ 生きる価値がない。」

  by  フィリップ・マーロウ
(ハードボイルド探偵物語の主人公)

レイモンド・チャンドラー原作
小説「プレイバック」のセリフより



2014年、平成26年の広島土砂災害
から丸4年が過ぎました。

先月七夕前日に起きてしまった
西日本豪雨災害はとても大規模で、
広範囲にわたって影響が出ています。

2018年、平成30年八月二十日。
非常に大きな台風が近付いている夕方。

綺麗な夕焼け空は見えていましたが、
流れる雲は何か不確実な色を帯びています。

それでも心は力強さを取り戻し、
明るく元気に喜び踊りつつありました。

幸せな笑顔を生み出す希望の光が、
たくさんの人の心に見出せるからです!





USARMY(米兵)のみなさんは、
「日本がトモダチだから助けた!」
というだけのことではないでしょう。

「あなたの隣人を愛せよ」
と幼い頃から教わっていたら、
何を言われなくても自然体で
即時即応に柔軟な行動が可能。



企業や芸能人の支援なんかを、
売名行為とみなしている人は
こんな強くて優しい隣人達を
同じ目で見ているでしょうが。

偽善か、心からの愛による善業かは、
周りの人の心に何が生まれたかでも
判断することは出来るものです。

多くの人が希望を見出し、
多くの人が勇気付けられ、
多くの人が愛を取り戻し、

多くの人が力強い助けを見て、

行動することで自分も何かを
生み出すことができるんだと、
信じられるようになりました。


大切なのは助けを得たなら感謝して、
自分でも人を助けたいと思う気持ち。


天の国は神からたまわるとはいえ、
人の力で作りあげるものでもあります。


古き天と地は過ぎ去り、
新しい天と地が来るからです。


アメリカの在日駐屯部隊の中でも
かなり地位の高い人まで、復興作業で
泥んこになって頑張ってくれていました!


いくら大変な時とはいえ、
司令官クラスほどの人ならば、
普通はこんな泥まみれで 実働行為
(ボランティアの現場作業)なんか
させてもらえるはずもないのですけど。

自分から率先して行動し、
喜び楽しみながら働いて、
困って苦しむ人を励ます。

感動して感謝されるために
行動しているわけではない。

自分たちも命を救われた身だから、
人の命を救いたいと思うのは当然。

イエスは、人の罪と死を買い戻して
本当の平和と喜びと幸せを与えた。

だから、それを信じているからこそ、
行動できるのは当たり前のことだし、
救い主は私たちと共にいてくださる。

どこかの知らない遠いところではなく、
いま、ここに、私たちの中に存在する。

だから、優しくもなれるし強くもなれる。
強さも優しさも、完全に神様の恵みだからね。


優しくて、強い人。 

それは、色々考えなくても
素早い行動が出来る人。

行動するのに相応しい時、
行動出来る人は素晴らしい。


他人が自分に好意を示すことは、

他人にとっても心からの喜びです。


それは決して、当事者にとって

重荷でもなければ負担でもない。


愛は親切、寛容、慈悲深く、忍耐強い。


愛が心にない人にとって、

愛ある人の愛ある行動とは、

理解しがたい謎の現象でしかない。




同じような出来事があっても

人の心の持ち方次第でそれは

不幸にも幸福にも変わります。


人生に悩みや苦しみは付き物。


しかしそれでも人は常に幸せな

人生を求めて懸命に頑張ります。


どんな色や形をしていても、

人それぞれに生き方は異なり

自分なりの幸せを作り上げます。



神様にとって、人間というものは

最高傑作の芸術作品でもあります。


人間にとって「最高傑作な芸術作品」

といえば、自分の生き様、生き方です。



どれだけ成功したか、

どれだけ結果を残したか、

どんなに報酬を稼いだか、

どんなに利益を儲けたか。



それらはすべていつかは過ぎ去り
古びて滅びる昔話となるでしょう。

新しい天と地がこの世に来る時、
神の王国に入れるのはただ一つ。

どれだけ愛したか。

どれだけ行動したか。

どれだけ救いのための
手助けになったか。

救い主は、イエス様お一人だけです。

人は、その弟子として、福音を伝える
働き手になることを命じられています。


傷を治したり、涙をぬぐい去り、

鎖を解いて自由に解放するのは、

戦争でも友達でも革命でもない。


正しい人として生きることです。


必ず神は手助けしてくれるでしょう。


天の父なる神様は、愛するひとり子

イエスの弟子として働いている人には、

最強なる天使の軍団を遣わされます。


それに比べたら、いくら武力を誇っても、

人間の軍隊にはどんな力もありません。


無限に力強い天の愛は、

有限な人間の力などとは

比較にならないからです。



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マルコ14

さて、
過越と除酵との祭の
二日前になった。
祭司長たちや律法学者たちは、
策略をもってイエスを捕えた上、
なんとかして殺そうと計っていた。 


彼らは、「祭の間はいけない。
民衆が騒ぎを起すかも知れない」
と言っていた。 

イエスがベタニヤで、
重い皮膚病の人シモンの家に居て
食卓についておられた時、
ひとりの女が、非常に高価で
純粋なナルドの香油が入れてある
石膏のつぼを持ってきて、
それをこわし、
香油をイエスの頭に注ぎかけた。

 すると、ある人々が憤って
お互いに言った。「なんのために
香油をこんなにむだにするのか。

この香油だったら、三百デナリ
以上にでも売ってしまえば、
貧しい人たちに施すこともできたのに」
そして女をきびしくとがめた。

 するとイエスは言われた。
「するままにさせておきなさい。
なぜ女を困らせるのか。
わたしによい事をしてくれたのだ。

 貧しい人たちはいつも
あなたがたと一緒にいるから、
したい時にはいつでも
良い事をしてやれるだろう。

しかし、わたしはあなたがたと
いつも一緒にいるわけではない。
この女はできる限りの事をしたのだ。
すなわち、わたしのからだに油を注いで、
あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。

 よく聞きなさい。
全世界のどこででも、
福音が宣べ伝えられる所では、
この女のした事も
記念として語られるであろう」

‭‭マルコによる福音書‬ ‭14:1-9‬ ‭