戦いの乙女、ジャンヌダルクが
オルレアンに到着した後の5月4日。
フランス軍は攻勢に出る。
オルレアン郊外においては
東のサン・ルー要塞を攻略し、
5月5日にはジャンヌが軍を率い
放棄されていた南の要塞である
サン・ジャン・ル・ブランを占拠した。
翌日に開かれた作戦会議の中で、
ジャンヌは慎重策に反対をする。
イングランド軍へのさらなる攻撃を
ひたすら主張するジャンヌに対して
デュノワはこれ以上の戦線拡大を
防ぐために、攻略軍が布陣する
市街の城門閉鎖を命令した。
ジャンヌは市民と兵卒を呼び集め、
当地の行政責任者に対して城門を
開けさせるため働きかけよと命じた。
結局、ジャンヌはある大尉の手引きで
この市街を密かにこっそりと抜け出し、
サン・オーギュスタン要塞の攻略に
乗り込んだため、作戦は成功している。
この夜、ジャンヌは自身が参加してない
作戦会議の中で、援軍が到着するまでは
「これ以上の軍事行動を見合わせる」
ことが決められたのを知ることになる。
しかし、ジャンヌはこの決定を無視し、
5月7日に英国軍主力の拠点である
「レ・トゥレル」への攻撃を主張した。
ジャンヌと行動を共にする兵士たちは、
彼女が首に矢傷を負っているにも関わらず
戦列に復帰し最終攻撃の指揮を執っている
のを目の当たりにして心が動いたという。
ジャンヌは戦いの英雄と認識されていった。
「行動をしましょう。
さすれば、主が共に
行動して下さることでしょう」
by ジャンヌダルク
