自分を偽善者と認めない人は、
「私たちは全員似た者同士だ」
という考えを押し付けてきます。
人はそれぞれ事情や理由があり、
少しずつ違う所もあったりして
互いに異なる者としてこの世に
存在を許されているのです。
もちろん、だからと言って、
自分だけ都合の良いように
棚上げしたり言い訳をして
生ぬるく甘えてたらダメです。
「十字架を背負って主の道を行く」
ということは、キリストの生き様に
見習い、学んで、精神を受け継ぐこと。
そうかと言って、無理強いして
封建時代の如く人の心を蹂躙し、
恐れの奴隷として人を扱うのは
言語道断なもってのほかのこと。
人間は神の子どもとなるために
愛を与えられた貴重な存在です。
恐れの奴隷としたがるのは、
悪の親玉の常套手段でしょう。
その辺に よくよく注意しないと。
人は、色んな種類がある様に
神によって造られてはいても、
偽善者が、画一的に統一化して
一括管理体制を敷こうとします。
何故なら、分かりやすいから。
色々なことに気を使わなくても、
お前はこうだからと頭ごなしに
決めつけてかかることにより、
全てを平和に丸く治めたい。
だってその方が楽だから!
真の平和は、お互いに自分達の
違いを尊重し合う時にこそ、
初めて到来するものです。
自分がどういう者であるかを
本当に理解する人でなければ、
愛を他者へ分かち合えません。
自分自身を理解出来てない人が、
他人を思いやることは無理です。
説得力なくなっちゃいます!
形だけで奉仕したりしても、
それは魂の抜けた偶像みたいに
やがていつかは朽ち果てます。
取り返し つかなくなって
気付いても 後の祭りで
覆水盆に返らず です !
自分と違う人に対して
脅威を感じることなど、
神を信じる人にとって
あってはなりません。
心が解放されている人は、
自分たちとは違う人たちに
敬意を払うことができます。
いつもお互いに尊敬して、
学び合おうとするからです。
ちょうど、今、JESUS を
知ろうとして、こうして
ミニストリーを学ぼうと
素直な心で見ている
あなたのように。
(=´∀`)人(´∀`=)
