【 慮(おもんぱか)り 】
A Creed For Those
Who Have Suffered
(病者の祈り)
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for-but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと
神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに、
より良きことができるようにと
病弱な体を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして
権力を求めたのに、
得意にならないようにと
失敗を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて
聞き届けられていた。
言葉に表されていない
祈りが叶えられていた!
ああ 私は、
あらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていた!
これは ニューヨーク大学病院
リハビリセンターのロビーに
掲げられた ある患者の詩です。
日野原重明医師により
1997年に岩波書店の
『現代医学と宗教』
で紹介されております。
本来なら人は誰でも
成功に必要な能力は
与えられているはず。
高額な自己啓発教材を
無理して求めなくても
理想は実現可能です!
この世で幸せをもたらすために
必要な素晴らしい情報や教材は、
常に天から贈られてきています。
この世で出会う全ての出来事は、
幸せに導かれるための教材であり
正しい導きを選ぶことこそが重要です。
真実一路に正しい道を求めれば、
必ず信ずべき道は見出されます。
人は努力して夢を叶えるもの。
天は自ら助くる者を助けます。
救い主は十字架を担うことで
天に至る道を自ら示している。
それは単に信じることだけでなく、
信じて愛して頑張ることを意味する。
神の配慮は人間にとっては
どうにも不可解な様に思える
時もあるかもしれませんが、
おもんぱかるということは、
大きな愛の表れに間違いなく
より良い方向へ導くことが
神の配慮なのでしょう。
「自分だけ良くなろう」とすれば、
みじめにぶざまに捨てられます。
多くの人を一緒にまとめて
良くしようとしているのに、
それを妨げる邪魔者なら、
不要物として数えられます。
聖書という本は、どこかにある
宗教の経典というわけではなく、
神さまとその継承者である人が
約束を取り交わした記録です。
文章の字面だけを見ても、
その書かれている真意を
おもんぱかることが大切。
人への配慮を神がするのなら、
人も神への配慮をしなければ
愛のある家族とはなりません。
地上の世界に多くある様な、
弱肉強食時代の名残りである
奴隷と主人の関係性ではなく、
本当に本物の愛ある家庭として
神が人を育てようとしています。
神からの訓戒や教育は、愛です。
人は、いかにおもんぱかるか、です。
聖霊は、現実の世界に力を発揮し、
JESUSの名で奇跡を起こしています。
天の神秘と慈悲深い情けは、多く
の人々へと分け与えられています。
与えられた人に出来ることは、
貴重な情報として受け取ったら
得たものを分け与えることです。
ただで与えられたものであれば
ただで分け与えることです。
そうすれば、ますます豊かに
恵みが増し加えられるのです。
与えれば、与えられる。
良いことをすれば
良いことが返る。
これは、昔からある
常識的な重要情報です。
人への配慮、おもんぱかり、
愛ある善業や奉仕などは、
やがて天に積む宝となります。
慮る、おもんぱかる。
おもんぱかるということ。
気付き、感謝し、配慮すること。
人がその愛をよく顧みて、
最善を尽くすことです。
人の世で心に響く感動は、
分かち合うことによって初めて
それが多くの人へと広まるのです。





