【真実なる 癒やしの奇跡 】
祈りと信仰による病の回復
それは 昔の時代から なされ
神を信じる人に もたらされ
今もなお 日常的に行われる
真実なる 無限の愛の結晶
それは誰の身にも
まさにいま起きる
天なる神の不思議
JESUSの名によって
人の身体を癒すというのは、
祈りと信仰 によって起こる
本当の愛の奇跡とされます。
JESUS の名を通して
聖霊が働くことにより、
死さえも完全に打ち勝つ
ことができるのです。
クリスチャンの人であれば、
奇跡的な癒しの話というものを
聴く機会もよくあるでしょう。
【あるキリスト者の証言】
母親は 認知症になり、
記憶が無くなりましたが
数年後 癒されました。
失っていた記憶が突然
正気に戻ったのです!
暫くして洗礼を受け、
後に異言で祈り、
礼の歌の讃美し始めました。
異言に関しては一言も私から伝えず
教えていませんでした。
何故なら90歳近かった母のために、
聖書の教理は無理だと思って伝えず、
主の祈りを紙に書いてわたしていました。
それでも母は救われた喜びと
感謝に溢れて、感謝の言葉が
異言に代わりました。
その母親は ある時
地上では見た事が無い所で
休んでいたら
白くて 手足は鉄のような人が
母に近づき、息子の所(語り手)
に帰るように言ったそうです。
母が腰掛けて休んでた所は
金や宝石が一杯でした。
一部は黙示録に書かれてある風景です。
母親は記憶がある時には
黙示録を読んだこと有りませんでした!
黄金の道や宝石の光る建物?
天国にあるのか?
私たちが知らないところ、
天にあるのだろうか?
キリストが天に昇りましたね。
再臨の時 エルサレムが
天国のようになるのだろうか?
「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。」21:2
ヨハネは言います。
「この天使が、
“霊”に満たされたわたしを
大きな高い山に連れて行き、
聖なる都エルサレムが
神のもとを離れて、
天から下って来るのを見せた」
21:10
気になった言葉は天から
下って来る表現しています。
もしかして、!?と整理、
今までの天のイメージを整理すると、
天国、天の都は天にあると
思っていたけれど、
天から下ってだってくるの?
黙示録の額面通りだと、
神の栄光によって
下ってきて地上に有る
今のエルサレムが 激変する
ことが黙示録に書かれて有ります。
実際の所どの様になるかは、
神のみぞ知る!!
けれど、いつになるかは解りません。
再臨はいつか?その時、
どの様になるかを議論するよりは、
いつも心の備えは必要ですね!
再臨もいつか解りませんが、
人の死は確実にきます。
人が愛する人が死んで無くなる前に、
キリストの福音
十字架の救いを信じて
救われることを願い祈ります。
日本人が
家族が救われるようにと祈ります。
「主を信じなさい、
あなたもあなたの家族が
救われるためです。」
使徒16:31
私たちも家族が救われるためが
最優先課題だと思います。
(引用以上)
ブログから引用しました。
「母親が見た天の国、別世界!
それは何だろう!?」
心の風景と旅路。
新規のブログを書きましたので、
どうぞ!ご覧下さい。
心の風景、愛の聖書、
福音と癒やしと日常から。
ミカエル小栗 : 母親が michael-mind.blog.jp/archives/52025…
クリスチャンにとって
祈り
みことば(聖書)
人への善行 と
神さまへの奉仕
JESUSの福音を
宣教すること
信仰を証ししてゆくこと
これらについては間違いなく
命の糧でないといけません。
信じて祈るだけ、
教会に通って
集まりに参加して
お金を支払うだけで
天国に行けるかどうか
わかりません。
少なくとも、本当の神様は、
宗教の中だけに閉じ込める
ことなど出来ません。
人を癒す奇跡を行なえ
と言われているのだとしたら、
それを実行しなければ、本当に
本物であるキリスト者としては
当てはまらなくなってしまいます。
信じて祈るなら実際に行動して
奇跡を起こすことも可能です。
この世には、やるべき仕事も
たくさんあることでしょう。
疲れたら、休めば良いのです。
目を閉じ、神様に呼びかけて
みると、不思議な体験をします。
実際に信じて祈る人であれば、
ここをクリアして次の地点へと
ステップアップする必要があります。
信頼は、依存ではありません。
責任を持って働くことができる
ために与えられる天の恵みとして
力が湧いて出て来るのです。
神は、恐れではなく平安です。
欲や見栄や恐れで人を縛るのは、
かりそめの栄光で人をだまして
滅びに招こうとあざむく悪です。
神は善そのものであり、
神は真実そのものです。
地上の奴隷から解放され、
神の子どもになれるのです。
天の民となり、神の家族として
この世に生きつつ幸せになれる
ということを信じましょう。
JESUSを救い主と信じる人には、
身も心も癒しの奇跡が起こります。
そして、自分が救われたのなら、
自分自身もまた、人を癒すことが
奇跡を起こすことができるのです。
祈り、かつ、働きましょう。
疲れたら、癒やされましょう。
信じて愛して敬っている
神の名を呼び求めると、
全身の緊張が解けて
疲れが癒されます。
自分が癒やされた人は、
人を癒やすことも出来ます。
救われたことに感謝して
生きている人は必ず
幸せになれます。
幸せは、人に分け与えるほど
ますます豊かに恵まれるものです。
祈りと信仰による病の回復
それは 昔の時代から なされ
神を信じる人に もたらされ
今もなお 日常的に行われる
真実なる 無限の愛の結晶
それは誰の身にも
まさにいま起きる
天なる神の不思議
JESUSの名によって
まさに今 真実なる光が
明らかにされる

