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和らぎ こそが 大切。
爆笑



人の世では、和らぎこそが 大切です。


形式主義や教条主義、権威主義や日和見主義。

長い物に巻かれまくり、同調圧力には従順で、

生命の尊厳を軽んじてしまうのにも平気なら、

問題を根本から考えないといけません。。。



イジメ、体罰、暴力事件、

八百長、賭博、セクハラ不祥事。

そして、不適切なアナウンス問題。




鍋焼肉ステーキラーメ餅ウエディングケーキおせち寿司ピザおにぎパスタカレーたこ焼骨

お相撲さん協会だけではなく、

組織の中のスキャンダルを隠蔽する

逃げ腰体質や温情主義による身内への

保身行為などが平気で横行する団体は、

世間から信頼をおとしめるだけです。

何の益にもならないでしょう。

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だがしかし。

悪事に手を染める人とは、

あまり深く関わる必要はない。


あえて強く批判して追求しなくても、
本人は自然に裁かれているでしょう。

まわりに迎合しているばかりで
うまいこと丸くおさまる、という
ご都合主義ではお話になりません。

自分で責任を持って積極的に
行動していかないといけない。

聖人は和して同ぜず
小人は同じて和せず

という言葉もありますが、

優れた人物ほど、協調協力をしても
無闇に主体性を失くしたりしない。
つまらない人間は、協調協力しても
心から親しく一致することはない。

ということでしょうか。
単に群れることは、協調性とは違う。

「和をもって尊しとなす」

という言葉が日本にはあって、
「カドを立てて騒いだりせず
平和に仲良くするのが大切」
と誤解してる人も多くいます。

そもそも自立心や主体性、
積極性や責任感こそが
和すことの本質です。

和やかに心を合わせること。

それは、圧力に負けて同調する
弱腰の生温い優しさではないです。

倫理や道徳の基本中の基本ですけど、
優しさと厳しさとが共にあってこそ
人の成長や社会的発展も実現します。


古代日本の原典を調べてみると、
「和らぐをもって貴しとし...」
と言われていたことが分かりました。

聖徳太子が制定したと言われている
「十七条の憲法」
第一条の要旨は、以下のようです。

「人は派閥や党派を作ろうとする。
やがて、頑固で偏った見方をする。
自分の主義主張にこだわるあまり、
他者との対立が深くなってしまう」

という風な考え方から始まり、
戒めの言葉を勧告しています。

「こだわりやしがらみが大きく、
いさかいや争いへ発展しそうでも、
頑迷さや偏見を捨て去ってお互いに
和らぎ睦まじく話し合いましょう」

ということをうたっている憲法ですね。

「そうすれば自然に合意も出来て、
道理にも叶うことになり、全てが
成し遂げられていくことになる!」


晴れ富士山日本国旗乙女のトキメキ太陽日本
「和をもって尊しとなす」の言葉が
本当に主張している本質的な意味とは
「単に仲良くしよう」ではないのです。
「物事の真実を見出すために必要なのは、
派閥や党派のこだわりを全て捨て去り、
甘えや馴れ合い、疎外や殺伐でもなく、
本当の平和から生まれてくる和らぐ心だ」
ということになります。


安らかに生きること自体は、
生温く無責任で自分勝手に
甘えることではありません。

真の安らぎを勝ち取るためには、
優しさと厳しさの両方が必要です。

必死に真面目に努力したり
一生懸命に頑張っていても、
わずかな気の緩みが足元をすくう
ということもよくあります。


人は、自分への執着を捨てて、
自分への束縛から解放された時に
はじめて、妬みからも解放されます。

何かに執着する性格の人ほど
何かを失うことを恐れてしまい、
自分自身が見捨てられる不安を
心の底に持っているものです。

だからと言って滅私奉公的に
何でもかんでも人に尽くしたり、
奴隷根性で働くのも微妙に違う。

心に愛があるならば、
自然に愛を実践出来ます。

お互いに尊敬し合えば、
協調協力して共存共栄する
ということもできるでしょう。



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