人を 汚すもの


ある日のこと。

ファリサイ派の人たちが

イエズスに近づいてきて

次のように言いました。


「なぜ、あなたの弟子たちは、

昔の人の言い伝えを破るのですか?

彼らは食事の前に手を洗いません!」


彼らは、イエズスの弟子たちの手が

単に汚ないといっているのではなく、


ファリサイ派の人たちが作りあげた

古い規則を守っていないというだけ

のことに対して文句を言ったのです。



イエズスはファリサイ派の人たちが

投げかけてきたその質問に対して、

逆に、次のような質問をしました。


「あなたがたは自分たちの言い伝え

のために、神のおきてを破るのか?」


人の戒めを守ってないぞという

問いかけに対して、それなら

神の戒めは破っても良いのか?

と聞いて悟らせたかったわけです。


ファリサイ派の人たちは、

自分たちが作った規則を

神から与えられた掟よりも

大事にしていたということです。


実際に、それらの規則を守るために

神のおきてを無視するという様な

本末転倒の出来事もよくありました。


ファリサイ派の人たちは、

偽善者になっているのだと

イエズスは主張しました。


そして、引き続いて、

心の清さについての話しをして

本当の意味で人を汚すものとは

何かということを説明しました。


イエズスは言いました。


「 聞いて悟りなさい。

口に入るものは人を汚さない。

口から出るものこそが

人を汚すのである。



口に入るものは皆腹を通って

かわやに落ちるということが

お前たちにはわからないのか。


しかし、口から出るものとは、

心の中から出てくるものであり、

それこそが人を汚すものなのだ。


悪い考え、殺人、姦通、姦淫、

盗み、偽証、そしりなどは、

心から出てくるものである。


これらのことこそが、

人を汚すものである。

手を洗わずに食べることは、

人を汚すことではない



もちろん、人はできるだけ、身も心も

清潔にしておかなければなりません。


不衛生な状態では、社会人として

不適合だと判断されかねません。


綺麗な方のが人からの印象もよく、

汚なければ嫌がられてしまいます。


ただ、ここで本当にイエズスが

言いたかった話というものは、

汚ない状態とか綺麗な状態とか

表面的な出来事ではありません。


そんなことならわざわざ神様から

どうこう言われて判断しなくても、

普通の人間はある程度分かります。


古代の時代には、神様によって、

人々の幸せな生活のために良かれと

綺麗とか汚ないとかのことで

取り決めが色々定められました。



しかし、イエスがこの世に生きた時代、

ファリサイ派や律法学者たちが人々に

間違った宗教を押し付けていました。


神との契約である律法を完璧に守り

行なうことでこそ、天の神から義と

認められるのだとするものでした。


その結果、当時のヘブライ人の生活は、


信仰そのものよりも果たすべき義務で

いっぱいになってしまい、常にいつも

表面的な行いだけに関心が向けられる

形式主義的宗教と化してしまっていた


という意味で言われていたのでしょう。



人間の内面的な部分である情緒や感性、

心の働きやみなぎる精神の動向なんかも

ないがしろにされてしまっていたのです。


心は、喜怒哀楽を表現することにより、

大きな幸せと絶対的な平安があります。


信仰は、内面と外面の両方共大切だとも

キリストの教えではよく言われています。


「心の中だけでいくら信じているとしても

実際に行ないが伴わなければ死んだ信仰」

であるということも言われていますし、


形だけでいくら善業をしていても、それが

心からの愛によるものでなければ無意味で

偽善的な形だけの行ないになりかねません。



「心が行いとなって表れる」という流れが、

一番の理想的な信仰であるともいえます。



真の信仰がある人というのは、心だけで

行いが伴わないような空しい無能者でも

行為だけで心が伴わなない偽善でもなく、


祈り、かつ、働くというような

スピリチュアルな存在です。


例え病気や怪我や様々な事情で

行ないが伴わないように見えても

真に心の伴う愛の力が働けば、

実際の現実的な行動以上に

力を発揮することもあります。


知恵の働きだとか人々の一致による

大きな力の結集ということもまた、

個人的な行動にまさるものです。

そしてそこには

天の助けも働き、

現実的な力にも

なるわけです。


昔のファリサイ派や律法学者たちは

偽善的な形式主義の宗教という

神の目からは何の意味もない

人間中心主義でした。


多くの腐敗と堕落が

現代の宗教や政治経済にも

(特に酷いのが 医療関係)

蔓延してしまっていますが、


本質的な問題の根本は、

まさしく偽善的で表面的な

形式主義にあります。


きれいな心を保つことは、

形式的な行動よりも

もっと大事なことです。


心を清く保っていけば、

身体や環境を清めることも

自然に出来てゆくでしょう。