【 過保護な下方向 】


共に依存か、
それとも
批判し合うか。

そんな混迷の中にあって、
人は落ち着けるでしょうか?

過保護を極めていると、
下方向へと堕落してしまい
自分の首を絞めるばかり。

かと言って厳しくし過ぎると、
嫌になって逃げ出してしまう。

両極端な関係性の狭間を
揺れ動く対人関係しか
できないでいる場合。



心に平安はなくなり、
いつも焦りと苛立ちや
不満と不安に責められて、
モチベーションも下がります。



それは、明らかに、
心がおかしくなって
しまっているからです。







動物的な感覚の意識は
愛情の概念が異質であり、
弱肉強食世界そのものです。

脅迫と恫喝を当然とみなして
共感出来ない相手は排除する、
なんてことを平気でしていたら、
共存共栄の時代に生き残れません。

猿山のボスなどを見ても、
分かることがあります。

毛づくろいをしていたのに、
次の瞬間には牙をむきだして
追いかけまわされてしまう。






人は、自分を少しでも
立派に見せようとすると、
緊張してしまうものです。

本来の自然な自分のあり方を、
少し盛り上げようとするからです。

甘やかしと厳しさのどちらの方に
重きを置いているかも分かります。


特に嫌な事があった時や
自信をなくした時などは、
馬鹿にされたくない人ほど
緊張してしまいます。




緊張すると相手の存在すらも
見えなくなってしまいますが、
相手が見えなくなれば、もはや
その場の状況が的確に掴めません。

自分自身と身内だけの
閉じられた世界の中に
孤立してしまって、
「勝ち組」を標榜する
狂信的集団と化すのです。

自分を愚かと思う人ほど、
トラブルを起こすと逃げます。

他人を愚かと思う人は、
トラブルが起きてしまうと
相手を非難し罵倒します。

そして大概、トラブルを
何度も起こしまくる人ほど
他人を愚かと思う人なのです。

そんな愚かな相手に出会った
自分は不運だと思っていますが、
現実的には、そう思ってる限り、
不幸から逃げられないでしょう。

自分自身の愚かさを反省して、
直して成長しようとしなければ、
いつまでも新しい未来を生み出す
ということにはならないでしょう。

「人を許す」
ということも必要です。
「自分を許す」ということは、
さらに大切なことです。

それは、過保護ではなくて、
下方向に堕落してしまうことを
未然に防ぐための賢明さです。

愛の心というものは、
上位の価値基準ですが
それだけでは精神世界の
理想的な思念でしかない。

寛容さ
というものは、
それを実践して、
現実世界に広げること。




田中が粘り、
菊池が繋ぎ、
丸が押し出して、
誠也が受け継いで回す。

新井さんもやってくれるし、
エルドレッドはもちろん、
松山も撃ち込んでくる。

石原、相澤ら捕手も充実。
チームには、バティスタもいる。

負けていても、
逆転するのが
カープの試合。

最後の最後まで、
誰もあきらめていない。

過酷な練習と、
熱血な応援により
勝ち続けている球団。

今年こそはと
チーム一丸となって、
日本一を目指している。
( ´ ▽ ` )ノ




「内なる生態系を意識すると、
新たな目で自分を観察出来る。

私たちは、微生物の世界とは
切っても切れない関係にある。

生まれて間もないころの
家族や環境との関わりが、
現在の自分を形作っている。」

ジェフリー・ゴードン教授



「科学の本質というものは、
二つの相反する姿勢の間で
バランスを取ることにある。

まずは、新しい考え方を、
それがどれほど突飛で
直感に反することであっても
積極的に受け入れる姿勢。

そして、もうひとつは、
あらゆる考え方を、
それが古い考え方だろうと
新しい考え方だろうと、

非情なまでに懐疑的に
調べる姿勢である。

そうでなければ、
深遠なる真実と
暗澹たるエセ科学を
区別することはできない」

カール・セーガン教授