【 悔やむ 前に 気付く! 】
一般に、権威や勢力のある人や
富裕な人を相手に商売する時は、
仕返しされることが恐しいので、
不正やごまかしなどはしません。
しかしながら、その代わりに、
相手が無防備な人や見知らぬ
他人なら、ごまかそうとする
傾向が世間にはあるでしょう。
これは正義に反するだけでなく、
人間性と愛の尊厳を冒涜すること
であり、このような人は永遠に、
許してもらえることはありません。
お金や権力は、人の心次第で、
危険なものにもなりかねません。
大概の物を買うことが可能でも、
人間の感受性までは買えません。
横暴を働く権力の前に手立てなく
泣き寝入りする哀れな人々の涙は、
どんなに悔やんで反省しようとも、
償い切れるほど甘くはありません。
身体であろうと心であろうと、
人を傷つけ踏みにじりながら、
お金で全て簡単に解決できる
というわけにはいきません。
いくら欲しいものがあろうとも、
動かないと手に入らないのです。
乱暴者は、何もせず手に入れよう
と思うので、人を傷つけるのです。
金や権力が欲しいと考えながらも、
自分から何もせず事態を悪化させて、
もっと強い力があれば上手く逃げ延び
安心して生きれると思う人もいます。
傲慢で貪欲な無法者になると、
人は他人だけでなく自分自身も
傷つけてしまうことになります。
後悔しても自分で選んだ道です。
それは人の自由意志なのです。
悪い展開ばかりを意識したり
希望や理想的な目標を考えず、
人を裁いて自分も裁かれます。
人を自分の中だけの見方で
裁く人というのは、本当に、
とても危険で厄介な存在です。
自分を神にまで高めています。
この世に生きる上では、あまり
有頂天になっていると、いつか
どん底まで墜落することもあり、
悔やんでからでは遅いのです。
後悔は、先に立たずといいます。
いくら後悔しても、終わってから
では何にもならないことでしょう。
先見の明があれば、良かったのに。
神の地位にまで高く上がっても、
人は目先を予知することでさえ
なかなか思い通りにはならない。
そこで、愛の存在に気づくのです。
【 愛を ごまかすことは 不可能 】
何かを困っている人だとか
不幸な人の涙に気づくこと。
ほんの小さな思いやりでも、
愛と憐みは人の心の糧です。
常に否定的な考えを持ち、
批判的見方ばかりしてたら
最悪の展開ばかりを見たり
疑心暗鬼にもかられます。
施しとは、飢えに食べさせたり
裸に着せたり、宿のない者には
安心して住まわせ、必要なのに
欠乏する何かを与えることです。
困った人を助けるのは心です。
投げ捨てる様に与える施しや、
軽蔑した態度で振る舞うのは、
豊富な物資でも仇になります。
微笑みをたたえるのも良いし、
せめて嫌な顔をすることなく、
心の中を晴れやかにすること。
侮蔑や嫌悪を捨て平安を保つ心。
言葉や視線、振る舞いや態度が
実際に暴力を用いていなくても、
縄をかけ刀を突きつけることと
変わりない強圧的態度に化けます。
品位と節度、礼儀と誠意を持って
いつも慎み深くしていなければ、
人と調和して理解し合うことなど
とても難しいことになるでしょう。
いくら権力があってお金持ちでも、
その地位や名誉にふさわしくない
態度での接し方や考え方であれば、
相手にとってはいつまでも敵です。
あまりにも人から抑圧されていたら、
いつか心の底で憎しみに変わります。
憎悪を感じて自分も苦しくなります。
嫌われるのが嫌で憎悪の心を殺します。
【 罪を憎んで 人を憎まず 】
人は、心からわきあがる憎しみから
逃れるためには何をするでしょうか?
それは、別の感情にすり替えること。
憎悪に取って代わるのが、不機嫌です。
たとえ相手が憎たらしい敵でも、
汚ならしく見える泥棒や乞食でも、
憎悪や軽蔑をこめた目つきなどは、
自分自身をも傷つけてしまいます。
本能的に肉体がどうしても相手を
拒否するのなら仕方ないですけど、
少なくとも心の愛を消さないこと。
許せなくても復讐しないことです。
本当に不幸な人は誰からも
慰められる事はありません。
それでも、愛される必要は、
どんな人にでもあるのです。

