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 【「知識」と「知性」は 違う 】



一般的な学歴社会では、

「知識」というものが

特別に大切なものだと

みなされています。


それは、人がどれだけ

「知識をもっているか」

というのが重要とされ、

学歴をその基準にします。


「能力を診断する目安」

なるとされています。

人間の能力を知識により

判断するという風潮です。



 

例えば語学であれば

単語や文法などを学び、

覚えている量に比例して

点数を稼ぐことができます。


数学などもまた同様であり、

どれだけ解き方のパターンを

理解しているかによって優れた

点数が取れるというわけです。


結論としては、それまでの

「暗記量が評価されるもの」

が大学の試験というもので、

社会がそれを認知するのです。

 




世間一般の認識では、およそ

難関大学に受かった人ほど、

問題を解決できる能力が高い

ようにも思われています。


しかし実際はかなり異なります。

彼らは知識をもっているものの、

それを組み合わせて自分の答えを

出せるとは限らないのが実状です。

 

多くの本を読んで、見聞を広めて、

たくさんの知識を身につけている

物知りな高学歴であったとしても

聡明でない人は、実に多くいます。


たくさんの知識があってもなお

知性を感じないことがあるのは、

「学びが自分の身に付いていない」

ということにほかなりません。


「知識をひけらかすだけの人」

であったとしたら、それは、

嫌われる可能性が高いです。





 

学んだ知識を自分の中に落とし込み、

実際に行動した人が語る言葉の中には

話に重みがあり、心から感動をします。


理論上は正しかったとしても、

いつの世も、事件は現場で

起きているものです。


頭の中の情報処理だけで判断すると、

実際は違うことが多々あるからです。





人間には知性だけでなく、

理性やら感性やらがあり、

その本質はいつの時代も

愛と命に関わるものです。


自分の存在意義を認識して、

人生の目的や意味を理解する

ことさえないのだとしたら、

人を幸せに出来るのですか?


現実の世界は平和ばかりでなく、

狂騒と混乱、別離と破滅もある。

しかしそれでも人の生きる道には、

困難苦労を乗り越える希望もある。





そこから学んだものは

「知恵」に変わります。

知恵は経験の中でしか

学べないものなのです


現実にその場で働いてこそ、

本当の知性に繋がるのです。

 

多くの知識をもっているのは、

書物など間接的な媒体を通して、

「他人から得た情報を話すだけ」

という簡単なものでしかありません。




知識のあるなしだけで、

人の能力を判断する基準

にする事は出来ないのです。


そこには独自の経験や

意見が存在しません。


机上の空論だけの

薄っぺらい内容しか

伝えられないのが

単なる博識な人です。



本当の意味で賢い人は、

命の大切さに感謝して

愛の偉大さに感動して

人を幸せに出来る人です。


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