



美しい花も吹き飛ぶ花嵐
雲の晴れ間に君の微笑み
人にとって信頼を得ることは、
とてつもなく大切なことです。
「陰口など叩かずに直接言えば
信頼を失わないで済む」ものを。
「嫌な思いをしたくないから」
本人の知らぬ所で愚痴ばかり
こぼし憂さ晴らししていても、
卑怯な人間には安らぎはない。
たとえ本人に知られなくとも、
悪口は幸せな人の言葉ではない。
何にも始まらないばかりか、
うらみつらみを残すだけです。
嫌なら嫌とはっきりさせて。
卑怯な人は、もうすでに、
それだけで嫌われますから。
嫌われたくなくても、遅い。
「自分が嫌われずに済まそう」
と逃げ隠れするくらいなら、
せめて、悪口は言わないで。
陰口叩きを止めましょうよ。
それを平気で平然とやるのは、
自分自身の心を曇らせるだけ。
全ての憂さを吹き飛ばす風は、
晴れ渡る空に潤いをもたらす。
心がどれほど曇り汚れようと、
人には人の生きる道があるはず。
逃げ隠れして愚痴や陰口でなく、
喜びと感謝こそ直接言えば良い。
それが出来ないのは、いまだに、
自分自身のプライドや虚栄の影に
恐怖して依存から抜け出せない人。
人は本来、自由に生きる道がある。
それを見えなくさせるのは、自分。
欲と嘘、慢心と偽善、
猜疑心、または嫉妬心。
本当の意味で恐ろしいものは、
本人がいまだに「恐ろしい」
という心が抜け切れないこと。
そんなものは無駄で無用で不必要。
あり得べからざる存在。
恐ろしいだなんて、あーた、
そんなものは、ありえない。
じゃ、どーすりゃいーのか?
そんなもんは、はじめっから
決まっとります。簡単なこと。
どんな困難も笑顔で迎える事。
あまり簡単なこととばかりは
言い切れないかもしれないが、
単純な、シンプルなことです。
憎いからと憎しみをぶつけず、
嫌いだろうと厄介だろうと、
自分の心を曇らせないこと。
人を悪く見るのは、傲慢な証拠。
インサイドアウトが成功の鉄則。
自分が変わると世界も変わる。
自分が理解されたいと思うなら、
相手を理解できるようにしましょう。
インサイドアウトとは、心の原則です。
- まず最初に自分の内面を変化させる
- それから自分の外側に影響を与える
この順番は、逆にはなりません。
人間は、自分自身の作った「心のフィルター」を通して、この世界を観察しているのです。
私たちは、「私たちの思うように」世界を見ています。
人を悪く見るなら「人が悪く見える自分の心」をこそ、まずは曇らせないようにしましょう。
人の弱みに付け込んで、
自分は高みで嘲る者は、
同じ事を自分もされます。
手出しも出来ぬ可哀想な人は、
不憫な状況だろうと憐れんで
温かい目で見守るなりすれば、
少なくとも角の立つことはない。