噂が立たないように注意して行動しています。
例えば、行く場所や、会う人や、着る服はもちろん、
フェイスブック上で何を書くかとか、誰にいいね!するかまで、
他人の目を気にして暮らしています。
ここで、なぜ、このように噂を気にしている人が多いのかというと、
そのようにした方が得だと思いこんでいる人が多いからです。
噂にならなければ、批判されたり、
友達に嫌われたりする心配がないと思い、
噂を気にして生きているわけです。
しかし、実際は、得することより
損することのほうが多いくらいです。
なぜかというと、噂を気にすると、活動が大幅に制限されて、
自由ではない人生になってしまうからです。
噂を気にするほど、旅行も恋愛もビジネスもファッションも
制限されてしまうため、
あまり楽しめない人生になってしまうのです。
というわけで、噂を気にするほど、
とにかく地味な人生になりますので、
くれぐれも気をつけることをお勧めします。
人は本来、周りの人に直接的に迷惑をかけなければ
自由であっていいものですので、
過剰に噂を気にする必要はないですね。
多少の噂は気にせず、何か言われても
「世の中にはいろんな価値観の人がいますね」と流して
自分がやりたいことをもっとやったほうが
より楽しく充実した人生になりますのでお勧めです。
どれだけ他人に配慮して、他人に嫌われなかったとしても
その結果、我慢ばかりの人生になってしまっては
あまり良い人生とは言えないので、
そうならないように気を付けたほうがいいですね。
☆☆☆☆☆☆
以上は、
世界を旅する年収1億円ブロガー
川島和正さんの記事、
「噂を気にするほど退屈な人生になる理由について」よりの引用です。
☆☆☆☆☆☆
この件に関しましては、人の性格はそれぞれ、内向的な人もいれば外交的な人もいますので、いちがいにどうこうと言う事はできませんが、まさしく
「世の中にはいろんな価値観の人がいますね」というような感じですね。
自分が内向的だからといって、外向的な人に嫌悪感を抱く必要などありませんし、逆に外向的な人も、内向的な人を馬鹿にすることもありません。それは、人それぞれの役割の違いであり、個性には様々な種類のものがあってこその人間社会です。
人からどう思われようとも、自分の生き方さえしっかりとしていれば、それで良いのだともいえません。それでは共存共栄して社会を発展的な繁栄に導くことは困難です。
でも、だからといって、自分の立場が恥ずかしくないようにしなければならないからという理由をつけて、嫌な事も全て我慢したりして、好きな事に触れるのなんかもあきらめてしまってばかりいたとしたら、残されるものは後悔と怨恨と臆病さのようなネガティブ感情だけではないでしょうか?
過去を振り返らず、誰をも憎まず、希望と感謝と爽快さのうちに生きてゆくためには、多少の飛躍も必要かもしれません。
実際に空を飛ぶことも可能な時代です。
お空の彼方まで飛んで行かなくても良いので、せめて、怖いからと前に進むのをやめるのではなく、大きな一歩を踏み出してみましょう。
だれも、人前で恥ずかしいカッコになって踊ってみろなんてことは、言わないです。
もちろん、それがやりたい人もいるし、やりたきゃ勝手にやればいいですけど、人から変なヤツだとうしろ指さされろなんて、だれも言ってはいません。
言いたい人は、どんなことでも、かってに
言いたい放題を言うもの。
それに影響されることなく、自分自身の良心にさえ恥ずかしくなければ、誰からもとやかく言われることはありません。
言われるのが嫌な人というのは、何かを言われること自体が嫌なわけではなく、嫌なことを言われるような、そんな自分自身が恥ずかしいのでしょう。
人に悪く見られることよりも、それにふさわしい自分であることをこそ、恥じた方が好ましいのですけどね、実際のところは。
それが出来る人こそが、本当の大人です。
出来ないひとは、まだまだおこちゃま。
うわさをきにするな!
なんて、いいません。
ただ、うわさをされても大丈夫なくらい、強い自分になりたいものです。
それは、清く正しく美しくとまではいかなくても、せめて、自分の生き方に誠実な自分になろうと努力していかないと、自分自身さえも嫌になり、信頼出来なくなってしまいますよ?
それでは、かなり困ります。
批判されたと思い込むのは、本人の勝手な受け取り方の場合が多いです。
何かを意見されたとしても、素直に聞いていても思い悩まず、さらりと流せば問題はありません。
批判なんてものは、スルースキル発動とスマイルパワー炸裂の前では、何とも無力なデッキですね。
(=´∀`)人(´∀`=)