人間がこの世に生を受け
この世界にやって来たのは、
小さい存在で終わるため
でなく、豊かになるため。
愛にみちあふれ、幸せな
光り輝くばかりの喜びと、
充実した至福の生き方を
自分の意志で選ぶため。
自分達だけの小さな世界を
守ることのためだけに生き、
小さい存在で終わるのなら、
愛を知ることなど一生ない。
厳しい表現かもしれないが、
他者を顧みることすらなく、
自分のことだけで精一杯だと
愛を忘れるなら、責任は重い。
自分達だけの幸せを達成し、
他人に関わらない者として、
「小さな世界だけを守れ」と
神は人を選んだのでない。
そんな自分勝手な人生は、
神様の信仰者でもなければ、
選ばれた契約の民でもない。
天と地との絆は愛の架け橋。
「あなたがたがわたしを
選んだのではない。
わたしがあなたがたを
選んだのである」
といったのは誰かご存知か?
二千年前に人として生きた
イエス・キリストだったが。
彼の心は小さかったのか?
ただ小さいだけの人生で、
本当に小さい生き方をして、
自分達のためだけの生涯で
終止符を打つのが幸せか?
人は、自分の人生にとって
何が一番最良な事なのかは、
自分でよく知っているもの。
どうすれば悪くなるかさえも。
本当は、よく分かっている。
人生は、自分達のためだけで
なくて、他人への思いやりが
あれば、お互い幸せになると。
「分かっちゃいるけど
やめられない」という人は、
出来るけどやりたくないから。
何故やらないのかも知っている。
小さな幸せにこだわるのは、
自分が大きく成長しないから。
大きな喜びを知らないのは、
愛する心を本当には知らない。
自分達だけの世界でのみ、
愛だの恋だの幸せだのと、
閉じこもるのであるなら、
それ以上先へは進めない。
苦しい中に助けを求めて
救いを見いだすためには、
愛の絆の架け橋が必要。
それは人が成長すること。
弱肉強食の競争と戦略の
迷妄や混乱の世界でなく、
共存共栄と相互扶助に生き、
信頼と平安の繁栄を享受する。
偉大な聖人のようになれと、
特別な徳の高い生き方をと、
そんな、難しい話ではない。
思いやりがあるか否かだけ。
人は生まれながらにして、
誰もが偉大な存在であり、
愛されるために生まれた。
愛する心を大切にするため。