人間というものは、
時と共に年を重ね、
体は大きくなっても、
心は小さくなってゆく。

小さい子供の時には、
「大きくなったら
何になるのか?」と
聞かれるだろう。

「立派な人になりたい!」
言って、まわりの大人が
驚くばかりの言葉を語って
みせることも時にあるもの。


社長!総理大臣!大統領!
お山の大将と思われても、
自由な夢を真剣に語る。
「僕、大将になりたい」

次第に成長してくると、
望みが小さくなってゆき、
現実的な見方ばかりして、
心は小さくなってしまう。


幼い子供時代には、夢と
理想と希望に満ちていた。
現実は大人が決めるのか?
目標を達成するのは心です!


心の小さな人間であろうと、
互いに愛し合い、支え合い、
理解し合おうとすれば、心は
大きなものへと成長します。
 

「あなたの天幕の場所を
広くしておきなさい。
あなたの住まいの幕を
張り広げていなさい!」

「あなたの綱を、
惜しむことなく、
長くのばしなさい。
あなたの杭を、
強固にしなさい」
  
イザヤ54



現実の厳しさを受けると、
人の心は小さくなるもの。
仕事も家庭も自分達さえ
良ければ他人など、と思う。


人が生れてきたのは一体、
何のためなのだろうか?
自分達だけの幸せのみを
小さく追い求めるためか?


小さいお家を建てて、
小家族が細々と生活し、
それだけのために生きて、
それこそが幸せなのか?


大きな理想で視野を広げ、
実業や社会貢献や政治など
地域とか国家のため働けば
良いというものでもない。



人の生涯は、いつか終わる。
しかしながら、その心を、
愛を残すことは、出来る。
見える形ではないとしても。

自分達だけの小さな世界を
守ることのためのみに生き、
それこそ幸せだと思うなら、
人はあまりにも小さな存在。

人はそれではあまりにも、
つらく悲しく苦しいだけの
哀れな貧しいみじめな人生
愛があれば、幸せはある。