「どうしてあなたは
血液を提供しようと
決心したんですか?」
少年は単純に答えました。
「あの子はぼくの友達です」
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少年は看護師に、
こう答えました。
「僕はまだ死にたくない!」
「僕は血を抜かれて、
まもなく死んでしまう...。
でも血だらけになった
この女の子の命を、
僕の血で助けるんだ!」
その話を聞いて、
周りの大人たちは
皆愕然としました。
針の痛さのせいで
泣いたのではない。
自分が今から死ぬ
ということの恐怖。
自分や愛する人たちが、
戦争によって理不尽に
死ななければならない
という悲しさと悔しさ。
しかし命と引き換えに
少女を助けるんだという
愛と使命感の葛藤の中で、
少年は涙を流していたのです。
たとえそれが恐怖の中の
不安と混乱の感情でも、
無知と無理解の結果でも、
少年の選択は愛の行いです。
輸血に関しての知識が
全くない少年により、
自らの命を引き換えに
少女を助けようとした
とても有名なお話です。
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この少年はごく自然に、
このような行動をとった。
決して強制でも、見栄でも、
投げやり、捨て鉢でもない。
少年はまだ幼い子どもであり、
大人が忘れてしまったものを
当たり前のようにもっている。
それは、単純に愛すること。
さらにもっと小さな子供、
生を受けてまだ間もない
無垢なる赤ん坊であれば、
親を単純に愛して求める。
その存在自体が自分に
必要不可欠であるから、
損得勘定からの愛情だ
というわけではない。
よほどの事情がなければ、
人は子どもを慈しんで、
愛情と優しい心をもって
養い育ててゆくものです。
少年の心に生まれた
小さな愛の灯火は、
それまで育ってきた
境遇から培われた。
孤児院だったからとか
宣教師がいたからとか、
それより大切なことは
愛する人がいたこと。
自分を愛してくれる人、
自分が愛する人がいて、
お互い助け合いながら
この世界に生きている。
愛は人の心を高めるもの。
その魂は天高く飛翔し、
愛する人の幸せを願い、
自分も周りも幸せにする。
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ところでこの物語は、
高校英語の教科書にも
採用されたことがある
というお話だそうです。
およそ20年くらい前、
キリスト教の伝道師も
早朝のテレビ番組で
話していたそうです。
つい最近になってからも
感動する良い話として、
ネットで頻繁に見かける
コピペ記事の物語です。
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見返りを求めずに
善行を積むことは
非常に尊いことです。
また、他人に対して
深い思いやりの心を
持つことも大切です。
人は道徳的な理屈では、
人を思いやる気持ちが
大切なこととされます。
他人の感情についても
思いやり深くあること。
それは人間関係の理想。
しかしそれでもなお、
実際に行うのは勇気が
とてもいることです。
もしかりに今この現在、
自分が少年の立場だったら
同じことができるだろうか。
咄嗟の事態に際して、
人が思わずとる行為は
その本性を示すという。
人は言葉よりも
その行いにこそ
すべてが現れる。
人は人と競争することではなく、
人と共に創造することができます。
愛はそこに宿り、命となります。
人は創造をすることで、
真実の価値あるものを
厳密に判断できます。
弱肉強食の競争や戦闘では
何も生み出すことはない。
共存共栄こそ価値あるもの。
調和と共感、理解と感動、
信頼と希望、真実の愛により、
人は幸せを創造できるのです。
個人の自己満足な幸せではなく、
知性、精神、肉体の全てにおいて
人は幸せになることができます。