レモン哀歌 | 星空のファイヤーバード
そんなにもあなたは
レモンを待っていた
かなしく白く
あかるい死の床で
わたしの手からとった
一つのレモンを
あなたのきれいな
歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなる
レモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼が
かすかに笑う・・・
わたしの手を握る
あなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたような
深呼吸を一つして
あなたの気管はそれなり止まった
写真の前に挿した
桜の花かげに
すずしく光る
レモンを今日も置かう
高村光太郎
レモン哀歌


