
ノーマン・V・ピール著
「どうすれば最高の生き方ができるか」
より
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この宇宙で一番大きい力
とはなんだろうか?
ハリケーンや竜巻のエネルギーか。
潮の満干か。火山の爆発力か。
それらも自然の大きないとなみの
あらわれであることはまちがいない。
けれど、もっと大きな力を
持ったものがある。
巨大な原子力を発見した
人間の能力か?
それも素晴らしい力
にはちがいない。
でも私たちの住むこの地球が、
宇宙から見ればほんのひとつの
小さな点にすぎないことを考えれば、
原子の爆発力など
宇宙の小さなちりの
ひと吹きにしかすぎない。
それでは、この宇宙で
一番大きな力とは一体何か?
それは人間が、
夜空に無数の星をちりばめた
天地創造の主との間につくった
トンネルを流れるエネルギーだ
と私は思っている。
このエネルギーは
人間のプラス・ファクター
の中にしまわれている。
そしてそれを解き放つのが、
いわゆる「祈り」であると思うのだ。
がっかりなさるのは
ちょっと待ってほしい。
祈りといってもあなたが想像
されるようなものではない。
あなたが想像したのは、
宗教と密接に結びづいている
祈りではないだろうか?
でなければ書物に出てくる
おごぞかな文章、
牧師の口から出るうつろな言葉、
せっぱつまったときに
口をついて出てくる嘆願―
―それらは表面的な部分を
とらえたものにすぎない。
祈りで何が大切かというと、
それはまず「信じること」である。
信じることはむずかしい。
疑うのは簡単だ。
誰にだってできる。
頭をつかう必要もないし、
習練が必要なわけでもない。
でも疑いを捨てて信じるには、
強い意志と気力が必要だ。
それができたとき、
祈りは通じる。
いつだったか、
同僚かつ旧友である精神科医、
スマイリー・ブラントン博士と、
南フランスのルルドのマリア聖堂で
起こっている奇跡について
話をしたことがあった。
博士は私がめぐりあった
研究者の中でも、とりわけ実行的な、
頭のキレる人物だったが、
それと同時に信仰もあつかった。
博士はテネシーの信仰のあつい家
に生まれ育ったせいか、
ものごとを精神面からとらえる
ことに興味を持っていた。
ルルドという小さな町で、
奇跡的に病気が治った人がいるという話
を伝え聞いたブラントン博士は、
客観的、科学的、医学的な見地から
厳密な調査を行なってみたいと考えた。
そこでルルドにおもむき、
そこに数週間滞在して、
地元の医師や病気を治しにきている
人々の話――実際に治った人も治らなかった人もふくめて――を聞いた。
まずはじめにわかったのは、
認定された治癒例――
医学専門家やカトリック教会に
治癒したと認められた症例は、
数えるほどしかないということだった。
けれどもそういう例では、
確実に治癒していることがわかった。
たとえば進行した肺結核や
他の機能的な疾患など、
ごくかぎられた患者の
レントゲン写真や診断書には、
ルルドを訪れる前とあとでは
大きなちがいが見られ、
瞬間的に治癒したことを
示唆していたという。
ルルドの水を飲んだり、
水につかった瞬間治癒した
という人もいたし、
自分や他の人が祈り続けたこと
以外には何もしていないという人もいた。
ブラントン博士は言った。
「まるで病気が治癒していく
時間が極度に加速されたような
感じなんだ。
ふつうだったら何カ月、
あるいは何年もかかる医学的な
治癒プロセスが、
いっきょに一秒か、
それ以下に短縮している。
今にも死にそうな人や病気に
かかっている人の内側で、
ものすごいエネルギーが
発散されたというか、
凝縮されたというか……」
ブラントン博士が知りたかったのは、
奇跡の治癒例に共通するものは
何かということだった。
かりに共通する何かがあるとしたら、
それは一体何か。
それが博士の追い求めていたものだった。
「それで、答えは出たの?」
私は尋ねた。博士は少し考えてから、話をはじめた。
「もし、そういうものがあるとしたら、それはこういうことではないかと思うんだ。治った人に共通しているのは、みな精神的にも医学的にも行きつくところまでいった人たちだということなんだ。
ありとあらゆる医学的な試みを経験し、精神的な救いを求めてきたが、どれも無駄だった、そういう人たちなんだ。
彼らは『もう充分です。あきらめました。もう何も望みません』というところまで達している。病気が治るお膳だてができたように見えるのは、この、自分を無にした状態なんだな。
まるで、それまでの努力や苦しみが治癒力を妨げていたような感じなんだよ」

