第一コリント
1章18~25節







十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。


それは、こう書いてあるからです。

 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
 賢い者の賢さを意味のないものにする。」




知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。


神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。



世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

それは神の知恵にかなっています。


そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

ユダヤ人はしるしを求め、
ギリシア人は知恵を探しますが、
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。


すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。



神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。







~~ 新共同訳 ~~