学校や会社で机に向かい、家に帰ってもゲームだとかパソコンのネットワークに依存する生活スタイルが、

現代人の体も心も魂までもむしばみはじめています。



そしてテレビはもちろん、携帯デバイスなどの進歩や発展により、


人間の五感そのものが退化の憂き目にさらされ、悲しいことに損なわれ続けている現状です。



仮想世界としてのディスプレイ画面の中に四六時中、自分の心身を閉じ込めて、


現実の生活環境では心も体も思うようには動かない。


現実的状況への対処もさることながら、他者に対しての寛容さや臨機応変な心の働きかけについても、自由な広がりをすることなく、


自分勝手な思い込みだけの世界に閉じ込められ、思わぬ場面で人間関係の落とし穴に遭遇してしまいかねません。






そんな生活を送っていれば、どんなに若くて健康的な人であっても、いずれそのうち近い将来には、


体が固くなってしまい、



それと同様に、頭脳的な思考能力だとか精神的な意識や想念のあり方自体も、


頑迷で固着した、取っつきにくいものになることでしょう。





体が固い場合は、足や腕の可動域が狭くなり、いくら筋肉を鍛えても動きに生かせなくなってしまいます。

頭脳的な頑固さ、強情さというのは、なかなか直そうとしても直らないような、個人的性格からのものかもしれないのですけれども、

そういう融通のきかない、根本的な思考感覚のしがらみについては、


身体的なトレーニングでもある程度、少しくらいなら、


改善されなくはないです。




人というのはやる気次第。

モチベーションのもって行き方次第で、いくらでも個人的性格とか人生の運命的領域さえ、改善は可能です。






柔和さも臨機応変さもない、


かたくなで視野の狭い人というのは、そこからさらに効率的なロスをも生み出してゆくことになり、



現実生活の身体的な動き自体さえ無駄になってしまいます。





今、気がつかないとならないのは、自分自身の本当に置かれている立場です。


そしてもし、
悪循環(vicious cycle)に陥っているのならば、そこから抜け出して這い上がるためには、全力を尽くさないとならないのは当然です。




どれだけあがき苦しんでも、
根本的なサイクルを改善していかないと始まりません。





心の動きは体の動きにも連動しており、なおかつ魂の領域でもある自分自身の運命的な人生経験にまでも、

とても大きく影響をしてしまっていることでしょう。



大切なのは、何かしらの対策を色々研究することも良いのですが、根本的な問題点は心の奥にあるんだと、

自分自身で気がつくこと。


人の心の奥底にあるものが、


大切な自分自身の命であり

魂であり、


愛であるということ。



さらにそれらは、


自分のものであっても、


自分一人だけでないこと。



あらゆるすべては関連性と循環が基盤にあること。




大自然と人体は共鳴し、


相似現象を起こし、
共存さえもしあえる。


精神が基盤となり、物質に働きかける。



体も心もお互いに活かし合い、
魂も命も目覚めて生きる。



すべての人は愛の中に
生まれ変わることができるから。