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日本人は、大規模な地震災害に遭遇する可能性が高いのにもかかわらず、多くの人が当たり前に生活しているという指摘があります。


首都である東京は密集型巨大都市であり、直下型大地震が発生してしまったら、どれだけ悲惨な事態になるかは想像に難くないです。


恐怖で頭がおかしくなってしまわないのかという疑問があっても、それはたしかにおかしくはないですね。





日本語の無常(mujo)という言葉を引用して、その精神性を解きあかそうとしている村上さんですが、その意見に対しては、異論を唱える人もいることでしょう。


「いつまでも続く状態、すなわち、常なる状態というものはひとつとしてない」
ということをこういう文脈で主張するのは、
(日本人イコール無神論者)
という図式におさめようとしている様にも、見えなくはないです。ちがうなら、ごめんなさいね。そういうふうに、見えるだけです。


無常の奥深い真実を悟り、永遠性に目覚めているために、日本人は平気で危険と隣り合わせの生活をすると。


あるいは哲学好きな者がよく使う表現の「不可知論」を引き合いに出そうとして。




もしくは唯物論まではいかなくても、相対的な無宗教主義としての立場があり、

個人的で私的な感覚や感情での信仰心は、多神教や多様性のある唯心論者として、

現実生活の中の「無常」に対する精神態度が確立されていると。


でもそれだけの説明では、
大切な問題を先送りしているだけで、病的な不安感を常に抱え続けている民族だというイメージを、外国の方から持たれかねない。


無常と共に生きる日本が、何故、平気に見えるのか。

もしかしたら、本当に心の底から苦しみながら、一生懸命大変な悩みを抱えて、現状を生きてるかもしれないというのに。







「この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し」


「すべてはとどまることなく変移し続ける」


「永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない」




それは、仏教の考え方だけではなく、道教みたいな東洋思想の中にもある考え。


しかしながらここにきて、
大切な秘密の知恵がある。




引き寄せの放送を勉強してる人なら、特に最近では、

キバリオンなどの知恵も知られてきており、


永遠性については、


今では多くの人々からは、それほどの不信感を持たれてはいないと思われます。



依って頼るべき不変で不滅なものがもしあるのなら、


それは愛だと人は言う。




愛はいつまでも、
絶えることはない。




倫理、

道徳心、

社会的規範、

一般的良識、

人間の良心。



どんな呼び名で表現しようと、



愛はいつまでも
滅び去ることはない。


愛の心で、だれかを大切に思うこと。



それ以外には、道はない。