朝礼などのミーティングや申し送りをすることにより、非定常作業の注意事項を徹底的に周知させておこうとすることは、とても大事です。
しかし、完全に事故や災害をなくそうと考えていても、
働き手がたくさんいる職場の中では、どうしても限界が出てきます。
古参の熟練者による厳しい意見や指導も大切なこと。
そういう厳しい指導やしつけの風潮というのは、
ストレス発散目的の愚痴やいじめやしごき、あるいは年寄りの老婆心、
もしくはスパルタ式な教育を暗黙に礼讚するものなどではありません!
単なる注意喚起や、現実的な問題点への警告にとどまらず、
危険回避や安全管理のために、
精神的な気風を生み出す契機となることでしょう。
現象面での安全衛生は、精神面からスタートします。
現実的な問題点に対しての自分たち自身の立場、
つまりはいかに自分たちが、
『一人前の仕事をするのにふさわしくない、未熟な状態であるか』ということを明確にするいさぎよさは、
前向きな姿勢を持つ寛大な心があってこそ生まれてくる、
大人のゆとりです。
それにはまず経営者側が、
『利益確保優先型経営』から
『人間性尊重型経営』へと
企業運営の態度を変えないと始まらない。
事務的職場管理では真実の問題点は見えない。
機械的人間管理では労働者の熱意が上がらない。
打算的利益管理、それはもはや、何かあった際には、監督責任を追求されるだけ。
それならば、企業はいったい何から始めたら良いでしょうか?
損得勘定を抜きにして、人間性を徹底的に重視する経営態度が見られるなら、
労務に携わる側の心は、真剣に会社組織に貢献したいと思うようになります!!
人間は、頭だけでは生きてはいけません。
上層部が栄華を誇ってばかりいても、それでは人は、面白くありません。
心と体、精神と肉体を結びつける司令塔が頭脳の働きではありますが、
それは単に役職として存在するリーダーにしか過ぎません。
いちばん大切なのは、生命体が自分自身を維持存続させていくために、
中核となる魂が必要です。
精神と肉体と霊魂、
その三重の次元に、
人間は存在します。
企業運営は、
経営者と労働者、
それが頭と体、
精神と肉体に対応する。
では魂はどこか?
つまり企業にとって生命はいったい何であろうか。
人が人として生きる道、
少なくともその企業の
名前をおとしめない道、
地域社会と円滑に共存共栄してゆくことこそが、
会社企業の存在する意義でなければならないのではないでしょうか。
古代の歴史によれば、
人間の正義と倫理を、
ユダヤ人は宗教に、
ギリシャ人は哲学に、
ローマ人は法律に、
それぞれ求めていました。
現代人にとっては、
目先の利益が大切か、
プライドが大切か、
愛国精神が大切か、
イデオロギーか、
あるいはそれとも、
人間関係の円熟か。
企業経営は、生命体の維持存続と同じく、幸せを周囲のすべてと分かちあうことでなされるべきものです。
それには、頭と体、精神と肉体だけではなくて、霊魂、心、命、人間として中核になる存在が大切です。
世界はそれを、
『愛』と呼ぶ。
経営陣、労働者、それ以外でも会社企業には、中核となる存在があることを、
人は忘れてしまいがちだ。
国家、組織、団体、仲間、あらゆる人間関係には、その集まりに対して参与し、
貢献した方がいたはずです。
創立者、祖先、親族、先生、先輩、古参熟練者です。
経済ニュースでは、自動車会社のトヨタが、古参熟練者に対して専用の生産ラインをもうけたということです。
人間は、物質世界だけでも精神世界だけでも生きてゆけません。
大切なことは、
人間には愛の心があり、
命と愛は一つであり、
真実の愛は永遠だ
ということです。
現在の最前線で活躍していなくても、
仲間として認められる人が、必ず存在するはずです。
愛の心をもって、自らをその所属する組織と同一化して、役割を担っていたからです。
貢献の度合いが大きいか、小さいかではありません。
お互いに、幸せを目指して頑張った仲間だからです。
幸せとは、幸せを独り占めするところにやって来るものではありません。
本当の幸せは、幸せを与えて与えられ、分かちあう心に生まれてくるものです。
\(^_^)(^_^)/
天地万物のすべてにおよぶ宇宙法則を説き示した、
キバリオン。
その元祖の作者とされる、
『ヘルメス・トート』は、
トリスメギストスと呼ばれている。
三重に偉大な者。
その方が、エメラルドに教えを刻み込んだ。
人間が幸せになることが、
自由に礼讚される日が来ることを夢見て。
☆⌒(*^∇゜)v