◆人間は、恐怖心と欲望をうまく制御することだけで、幸せを引き寄せられるわけではありません。
◇そう言えばそうですね。てゆうか、またわたしも参加させてもらっちゃっていいんですか?
◆今回は、真面目にいきたいと思います。
そもそも人間という存在自体、感情と理性を兼ね備えているゆえに、ある程度のところまでは、欲望や恐怖心という課題をうまく操作したり抑制したりしてはいるのです。
◇うわー、相変わらずの小難しい言い回しですねー。
だから早い話が、積極的に人生を向上させるためのコツとか知恵を、うまく活用しようとして頑張っているわけですよね。
◆しかしいくら工夫したり頑張って精進努力しても、無理やり型にはめるようなまねをしても、無理が通れば道理が引っ込みます。
◇時々ぼくは、無理に君を、ぼくの形にはめてしまいそうになるけれど・・・・っていうやつですね♪
◆だから、貪欲さと無知なる愚鈍さ、そして憤慨して怒り狂う心がある限り、人が恐怖心や欲望から逃れることは、根本的にはできないのではないでしょうか。
◇じゃあどうやって、欲望や恐怖心をうまくコントロールして、幸せを引き寄せることができるのでしょうか?人間に感情と理性があるなら、何かしらの良い手もあるんでしょうね。
◆いくら節制したり信念を強くしたり、バランスよく環境を整備しようとしたりしたところで、恐怖や欲望というのはこの現実世界の地上生活には、感覚的に備わっているものなんです。
◇は?それじゃ恐怖や欲望をうまくコントロールするのは無理ってこと?うちらみたいな低次元な存在じゃダメってことなんですか?
◆だからこそ人は、幸せを願い続けて一所懸命に生きているのです。恐怖や欲望の奴隷になっている時代はすでに終わっているコンテンツですから。それらに打ち勝つために必要なものというのは、それこそ、幸せを願い続けてやまない熱く激しい愛の心なんです。
◇愛の心?それじゃ、愛の心さえあれば、欲望とか恐怖心に負けないでいられるんですか?
◆愛だよ、愛。まだその名前を知らない人が多いんだけど、愛に生きる命ってのは、それだけで、とてつもなく強い力を持つんだよ。
人間というのは、まだまだ本当には、愛が何かを理解できていないことが多い。
◇愛が何かを理解できないと、幸せを引き寄せることができないんでしょうか?
じゃあ結局、愛するって、そもそもどうすれば良いんでしょうか?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
JOHNー15
『人がわたしにつながっていないなら、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れ、焼いてしまうのである』
『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう』
『あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう』
『父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい』
『もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである』
『わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである』
『わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい』
『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』
『わたしがあなたがたに命じることを行うのならば、あなたがたはわたしの友である』
『わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである』
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それはあなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである。また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである』
『これらのことを命じるのは、あなたがたがお互いに愛し合うためである』
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
◆人の子は、愛を与え尽くして生きる命を友と呼ぶ。
真実の愛に生きている人間は、幸せを引き寄せ、その幸せをお互いに与え尽くして永遠に生きる。
無限の富も幸せも、人間が確実に手に入れるためには、愛そのものになりきることです。
そして、その愛が本当に心からの感謝と喜びに満たされているなら、求めるものが与えられないことはない。
◇何か宗教的な儀礼様式だとか、何かそういう種類の道義的な観念や信仰心だとかは必要ではないのかしら?
◆この現実世界や、天地万物のあらゆるすべてを創造している神様とは、通常の意識で理解したり把握できる存在ではないのです。
しかし、人間がその偉大な神の無限なる愛と同じ心にまで成長することにより、感覚的にとらえることも、実は可能なことなんです。
幸せを引き寄せるということは、愛を引き寄せることでもあり、無限の次元時空に生きている全知全能の神を、同じ心となって引き寄せることでもあります。
◇…うわーっ。
なんだか途方もなくはるかに新しい、高い次元の話が始まりましたね……。
じゃあさ、今まで特に日本人の多くがやってたりしたんだけど、神様にご利益をお願いしたり、厄払いとかでご祈祷とかお念仏とかをやってもらっていても、神の心を感じ、神の心と同じ意識レベルの愛に生きないなら、意味がないってことなんですか?
◆自民党は
『日本を取り戻せ』
とか言ってましたけど、
『愛を取り戻せ』
と言いたいですね。
てゆうかむしろ、歌いたいですね♪
◇はい、はーい!
今回は真面目にやるって話だったから、そこから先は次回までおあずけでーす。
◆あの、今回のタイトル・テーマは
『精進努力する苦しみよりも、解放された広い心』
が引き寄せでは大切ですよっていうことなので、せめてそのあたりまではお話を続けさせていただくことはできないでしょうか…?
◇えーっ!?まだ続けるの?あんまり長いと読者に飽きられないかしら…。
さっさとまとめてくださいね!
◆恐怖心や欲望は、人間の本能的な性質に過ぎません。
それらはすぎさった昔の時代の遺物でしかありません。
アセンションを通過することにより、地球と人類が新しい時代を迎え入れることになりました。
今から先の未来には、古くなった不要物である弱肉強食的な戦闘または競争の意識を廃棄処分しておかないと、この現実世界を創造するクリエイターにはなれません。
人の子は、苦しみを背負うことで、真実の愛と平和を人類に与え尽くしています。
その方が、今もなお人類に教えてくれていることは、お互いが一所懸命に、愛を与え尽くして生きなさいということです。
天なる父の愛をいただき、その幸せな恩恵を感謝して生きることは、人類がお互いに真実の愛に生き、引き寄せた幸せを与え尽くして生きるということです。
そこには心の解放があり、
非常に高い次元の感覚が、
新しく目覚めてゆきます。
死ぬほど苦しみぬき、
我慢、
辛抱、
忍耐することも、
人間が生きる上では必要なことなのかもしれません。
人生は、そういうことは当たり前です。
苦しみなんて、あって当たり前なことですから。
あえてわざわざ愛だからといって、不必要な苦しみを招き入れ、自己満足や自己陶酔している場合ではありません。
いつまでも、夢見る少女じゃいられないですし、悲劇のヒロインのふりをしていることもできないんです!
苦しみや努力、一所懸命に頑張ることなんて、あって当たり前だってことです。
苦しみや悲しみは、人生にはあって当たり前だからこそ、人は前向きに生きる。
本能的な性質があっても、どんなに苦しみや悲しみがあっても、人は生きる限り学び続け、努力をし続け、一所懸命頑張り続けます。
そこからどうやって、心を幸せな喜びに解放して生きるかは、一人ひとりの課題です。
そんなことよりも、たくさんの愛をいただき、たくさん愛と幸せを与え尽くして、愛のうちに生きることです。
人の子の言葉を理解するためには、天なる父の愛と同じく、偉大な愛の心を養い育てていつも感謝し続けることです。
◇……ありがとうございます…。
ようやくまとめてくれたんですね…。
これでようやく休めるわ…!
それではおやすみなさい!
◆なんだ、眠たいとか早く寝たいなら言ってくれたら良かったのに。
真面目な記事にしないといけないなって思ったから、一所懸命頑張ったのに…。
◇そう言えばそうですね。てゆうか、またわたしも参加させてもらっちゃっていいんですか?
◆今回は、真面目にいきたいと思います。
そもそも人間という存在自体、感情と理性を兼ね備えているゆえに、ある程度のところまでは、欲望や恐怖心という課題をうまく操作したり抑制したりしてはいるのです。
◇うわー、相変わらずの小難しい言い回しですねー。
だから早い話が、積極的に人生を向上させるためのコツとか知恵を、うまく活用しようとして頑張っているわけですよね。
◆しかしいくら工夫したり頑張って精進努力しても、無理やり型にはめるようなまねをしても、無理が通れば道理が引っ込みます。
◇時々ぼくは、無理に君を、ぼくの形にはめてしまいそうになるけれど・・・・っていうやつですね♪
◆だから、貪欲さと無知なる愚鈍さ、そして憤慨して怒り狂う心がある限り、人が恐怖心や欲望から逃れることは、根本的にはできないのではないでしょうか。
◇じゃあどうやって、欲望や恐怖心をうまくコントロールして、幸せを引き寄せることができるのでしょうか?人間に感情と理性があるなら、何かしらの良い手もあるんでしょうね。
◆いくら節制したり信念を強くしたり、バランスよく環境を整備しようとしたりしたところで、恐怖や欲望というのはこの現実世界の地上生活には、感覚的に備わっているものなんです。
◇は?それじゃ恐怖や欲望をうまくコントロールするのは無理ってこと?うちらみたいな低次元な存在じゃダメってことなんですか?
◆だからこそ人は、幸せを願い続けて一所懸命に生きているのです。恐怖や欲望の奴隷になっている時代はすでに終わっているコンテンツですから。それらに打ち勝つために必要なものというのは、それこそ、幸せを願い続けてやまない熱く激しい愛の心なんです。
◇愛の心?それじゃ、愛の心さえあれば、欲望とか恐怖心に負けないでいられるんですか?
◆愛だよ、愛。まだその名前を知らない人が多いんだけど、愛に生きる命ってのは、それだけで、とてつもなく強い力を持つんだよ。
人間というのは、まだまだ本当には、愛が何かを理解できていないことが多い。
◇愛が何かを理解できないと、幸せを引き寄せることができないんでしょうか?
じゃあ結局、愛するって、そもそもどうすれば良いんでしょうか?
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
JOHNー15
『人がわたしにつながっていないなら、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れ、焼いてしまうのである』
『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう』
『あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう』
『父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい』
『もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである』
『わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである』
『わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい』
『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』
『わたしがあなたがたに命じることを行うのならば、あなたがたはわたしの友である』
『わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである』
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それはあなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである。また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである』
『これらのことを命じるのは、あなたがたがお互いに愛し合うためである』
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
◆人の子は、愛を与え尽くして生きる命を友と呼ぶ。
真実の愛に生きている人間は、幸せを引き寄せ、その幸せをお互いに与え尽くして永遠に生きる。
無限の富も幸せも、人間が確実に手に入れるためには、愛そのものになりきることです。
そして、その愛が本当に心からの感謝と喜びに満たされているなら、求めるものが与えられないことはない。
◇何か宗教的な儀礼様式だとか、何かそういう種類の道義的な観念や信仰心だとかは必要ではないのかしら?
◆この現実世界や、天地万物のあらゆるすべてを創造している神様とは、通常の意識で理解したり把握できる存在ではないのです。
しかし、人間がその偉大な神の無限なる愛と同じ心にまで成長することにより、感覚的にとらえることも、実は可能なことなんです。
幸せを引き寄せるということは、愛を引き寄せることでもあり、無限の次元時空に生きている全知全能の神を、同じ心となって引き寄せることでもあります。
◇…うわーっ。
なんだか途方もなくはるかに新しい、高い次元の話が始まりましたね……。
じゃあさ、今まで特に日本人の多くがやってたりしたんだけど、神様にご利益をお願いしたり、厄払いとかでご祈祷とかお念仏とかをやってもらっていても、神の心を感じ、神の心と同じ意識レベルの愛に生きないなら、意味がないってことなんですか?
◆自民党は
『日本を取り戻せ』
とか言ってましたけど、
『愛を取り戻せ』
と言いたいですね。
てゆうかむしろ、歌いたいですね♪
◇はい、はーい!
今回は真面目にやるって話だったから、そこから先は次回までおあずけでーす。
◆あの、今回のタイトル・テーマは
『精進努力する苦しみよりも、解放された広い心』
が引き寄せでは大切ですよっていうことなので、せめてそのあたりまではお話を続けさせていただくことはできないでしょうか…?
◇えーっ!?まだ続けるの?あんまり長いと読者に飽きられないかしら…。
さっさとまとめてくださいね!
◆恐怖心や欲望は、人間の本能的な性質に過ぎません。
それらはすぎさった昔の時代の遺物でしかありません。
アセンションを通過することにより、地球と人類が新しい時代を迎え入れることになりました。
今から先の未来には、古くなった不要物である弱肉強食的な戦闘または競争の意識を廃棄処分しておかないと、この現実世界を創造するクリエイターにはなれません。
人の子は、苦しみを背負うことで、真実の愛と平和を人類に与え尽くしています。
その方が、今もなお人類に教えてくれていることは、お互いが一所懸命に、愛を与え尽くして生きなさいということです。
天なる父の愛をいただき、その幸せな恩恵を感謝して生きることは、人類がお互いに真実の愛に生き、引き寄せた幸せを与え尽くして生きるということです。
そこには心の解放があり、
非常に高い次元の感覚が、
新しく目覚めてゆきます。
死ぬほど苦しみぬき、
我慢、
辛抱、
忍耐することも、
人間が生きる上では必要なことなのかもしれません。
人生は、そういうことは当たり前です。
苦しみなんて、あって当たり前なことですから。
あえてわざわざ愛だからといって、不必要な苦しみを招き入れ、自己満足や自己陶酔している場合ではありません。
いつまでも、夢見る少女じゃいられないですし、悲劇のヒロインのふりをしていることもできないんです!
苦しみや努力、一所懸命に頑張ることなんて、あって当たり前だってことです。
苦しみや悲しみは、人生にはあって当たり前だからこそ、人は前向きに生きる。
本能的な性質があっても、どんなに苦しみや悲しみがあっても、人は生きる限り学び続け、努力をし続け、一所懸命頑張り続けます。
そこからどうやって、心を幸せな喜びに解放して生きるかは、一人ひとりの課題です。
そんなことよりも、たくさんの愛をいただき、たくさん愛と幸せを与え尽くして、愛のうちに生きることです。
人の子の言葉を理解するためには、天なる父の愛と同じく、偉大な愛の心を養い育てていつも感謝し続けることです。
◇……ありがとうございます…。
ようやくまとめてくれたんですね…。
これでようやく休めるわ…!
それではおやすみなさい!
◆なんだ、眠たいとか早く寝たいなら言ってくれたら良かったのに。
真面目な記事にしないといけないなって思ったから、一所懸命頑張ったのに…。