
/>ブログネタ:怒るのは愛情があるからだと思う? 参加中
◆さすがアメブロさんですね♪実にタイムリーなネタを提供してくださいます!!
◇まさかここからつづきをスタートさせるつもりですか!?
◆当たり前だのあっちゃんだっての!!
◇もうそろそろそのフレーズやめませんか?
◆怒るのは愛情かどうかってことですけれど…。
◇……本題に戻ることで逃げましたね…。
◆ズバリ、怒るのも愛情!
◇え!やっぱりそうなんですか?
◆ただし、自分自身に対しての愛情も、それなりに強いんじゃないかな。
◇…あんまりズバリではないですね…。気持ちはわかりますけれど。
だから結論としては、
『怒ることよりも愛情のこもった対処の仕方』みたいなことって、何かあるんですか!?
◆『教育者という存在は、教えたいという情熱の激しさを持つ』
ということを先ほどの記事では学びましたが………
◇やっぱりまた白熱教室に戻るんですね…。
◆親子の関係では、子供が幼い頃は、親こそが子供にとっての教育者ですよね。
◇まあ、当然と言えば当然ですね。
◆当然です。
当然だのあっちゃんです。
しかしながら、子供の立場からしてみれば、だんだん自我が出て来てしまうんです。
親の気持ちを、つまり、愛するゆえに厳しく育てたいという、本当は優しい心の反面を、理解できないようになってしまうのですよ。
◇………言いたいことはよくわかるつもりですけど、今度またつまらないこと言ったら、完全にスルーしますから。
◆…優しい心ゆえに厳しく叱り、きちんと育て上げたいという親の気持ちが、恵まれた環境が当たり前になってしまうと、子供にはどうでも良くなってしまうからね。
◇思春期ってやつですか。
やってみてわかる年頃、
やってみなきゃわかんない年頃ですね…。
◆もっと大きな視点でものを見るようにしないと。
人というのは、目先の欲やエゴやプライド、あるいは思い込みや勘違いによって、だんだん愛情が冷めてしまうんです。
◇家族の愛が冷えたりしたら、悲惨この上ないですからね……。
◆家族は、子供自身が大きくなるにつれて、親も子も相手の気持ちを理解することより、各自の主義主張を優先させようとしてしまいます。
そうこうしているうちに、お互いに心がかたくなになってしまいます。
◇優しさも、裏目に出たらドツボにはまりますから。
猫可愛がりの単なる甘やかしでは、人としての心さえ、なかなか育ちませんし。
◆そもそも怒りのエネルギーを放出させるほど、相手に強い執着を持つというのは、厳密に言ったら愛情の愛ではなくて、情緒あるいは情動に属する観念です。
◇……また色々な展開に持っていくんですね…。
◆喜怒哀楽にはじまる情緒、情動、情念、情感などというものは、
人間において知性と理性、
または意識と無意識の間にあって、うまいことバランスを保ってくれています。
◇結局、
『感情的になっちゃったら、理知的で冷静沈着な対応ができない』から、悲惨だっていうことで良いんですか?
◆話がかみあってないみたいですね…。
『感情が意識を制御できなくさせる』わけではないです。
『意識して感情をコントロールすること』なんて、愛があれば可能です。
かなり可能です。
本当の愛は、理性や知性をもきちんと当たり前のように兼ね備えています。
当たり前です。
人間だもの。
◇……そうですか…。
いわゆる、
『好きなことと愛していることは、ちょっと違う』
というやつですね……。
◆好きになることは、人間が本来持っている性質です。親が自分達の赤ちゃんを慈しむ心とか。
しかし、真に人を愛するというのは、学びと成長をともないます。
そして、愛のために自分が変わろうとする決意、
それをやりとげる覚悟、
お互いに思いやる理解力、
などというものが絶対的に必要です。
◇じゃあ、『無条件の愛』みたいなのは、人間をダメにするんですか?
◆ダメダメですね。こと、こうした精神的問題の物語では、理論的計算や理想論は、実際の現場では役立たず、というか、邪魔にさえなりかねませんし。
◇物語?
現実のお話ですよね。
◆さあ。悲劇のヒロインになりきって、現実逃避していなければ良いんですが。
◇要するに、ただ怒るだけではなくて、相手の心を理解していなければいけないってことでしょうか。
◆理性とか知性が顕在意識や通常意識を統括、縫合しているのに対し、
感性というのは、潜在意識の中にあって、無意識の領域分野に属するものだからです。
◇そろそろ長くなりそうなんで、またつづきは次回にしませんか?
◆『教育者という存在は、教えたいという情熱の激しさを持つ』んだッ!!
◇はいはい。もうわかりましたから大人しくまとめましょうね…。
◆喜怒哀楽っていうくらいだから、
ハッピーも情熱の激しさなんだッ!!