◇不憤不啓、不非不発。
このあたりが前回のつづきですね。
◆ふふん、ふけい。
ふひ、ふはつ。
◇またなんか変なこと言おうとたくらんでるんですか?
◆意味として非という言葉にはですね、
誤謬、間違い、あやまり、問題、欠点、罪、非難されるべき所、責任を問われる点、落ち度・・・などがあります。
不非不発っていうのはね、自分自身がダメなんだってことに気付いない人には、何言っても無駄だっていうことですね…。
◇…いきなり主題がはじめられると、わたしってなんか突っ込みばかりしてる嫌な人みたいじゃないですか?
◆え、ちがうの?
◇ちがいますよ!おかしな言い方はやめてください!単にボケたらツッコミを入れるっていうのは、一般的な流れなだけですから。
◆君にとっての一般常識が、世間のそれと同じものなのかどうか。
また、世間一般に普通のこととされている基準が、本当に真実な正しいものであるかいなか。
◇理屈なんてどーでもいいから、早いとこ進めちゃってください!
ふひふはつの話なんでしょ!
◆『非の打ち所がない』
って言ったら・・・・・
完全、完璧、完全無欠。
無謬(むびゅう)にして、最善、最適、最高、最上。
100点満点で理想的。
絶対的で、絶妙にバランスがとれてて、
一分のすきもなくって、
どこにも欠点がなくって、
パーフェクトで、
すべての目標が達成されることとか…。
◇『どうにかしたくってどうにかしたくって仕方がないッ!』
っていうくらいの熱血さがなければ、
『教えの言葉を発してやらないぞ』
っていうのは、
『理想とする目標を高い次元に設定しておきなさい』
ってことで良いですね。
◆そういうことです!
決して孔子先生がツンデレだったからなんじゃなくって、
つまり、そういう完全無欠のR&R状態が理想的なんだぜベイベーってことですね♪
◇・・・・・なんかもう、どーでも良くなってきそうなんですが、
憤るくらいの勢いを持たないと、啓蒙(教育)してもらえないなんて、
学問の世界って本当はすごい厳しいんですね。
◆でしょ!?
でも大丈夫です♪
今回で最大の重要テーマをおさらいしてみましょう!
◇『教育者という存在は、
教えたいという情熱の激しさを持つ』
ってことでOKですよね?
◆そして、そのことに
『気付いてさしあげられるかどうか』
あるいは、
『応えてさしあげられるかどうか』
このあたりが実は、すごい大切なんですよ♪
◇引き寄せの法則って、
人生の学びってことで、
結論付けたいんですか?
◆んー、
それは、そうなんですけれども。
教えを学び、
身に付けて、
成長できるかどうか。
◇だからそれも、引き寄せの法則に当てはめられるんですよね?
◆学問の世界では、
人が成長するかしないかは、人間としての存在意義にかかわる大切な問題です。
◇引き寄せの法則でもそうなんですよね?
◆学問は、知恵の研鑽であり、単なる知識の蓄積ではないです。これもすごく重要なことです。
頭脳的意識が情緒的意識より優位にくるというのとはちがい、本当に偉大な徳を身につけずにいたら、ダメダメなんです。
◇『志学の精神』がない、やる気のない弟子に対しては、孔子先生は二度と教えるつもりはないと厳しい宣言をしていますが。
◆自分で調べず、考えもしないで、すぐ他人に聞く人ですね。
そういう人に対して、
「アセンデッド・マスター」は、
つまり、
『人類の精神的な方向性を先導してくれる、高次元存在なる聖賢明哲の祖師達』は、
冷酷無慈悲にさえ感じる、厳格な態度を見せます。
◇幼い子供時代ならば仕方ないかもしれませんが、
大人になっても学びたいという意欲がないなら、
とんだ困り者ですからね。
◆だから
無関心、
無感動、
無反応。
それは何を意味するか?
厳しい言い方をすれば、
無責任、
無理解、
無目的。
責任を担いたくないから、自分は感知していません。
何にも理解してないから、
何にも感動したりしない。
そして、致命的なのは、
大切な目的を見失い、
必要な反応が欠落する事。
◇あてもなく、いきあたりばったりじゃ、ダメってことですね。
◆いつの時代にも、
教師と呼ばれる方々は、
忍耐強く、
我慢強く、
辛抱強く、
ご自分の子供たちを、
指導しておられます。
◇真剣な質問に対して
よく考えずに返答したり、無回答だったり、
応答不能だったりしたら、ちょっとせつないですね。
◆せつないどころか、こんな悲しい時代ってないですよ。
◇なんかノスタルジックですね…。
◆知識や学問、あるいは教養や一般的常識っていうのは、人間の顕在意識の領域にかかわるため、
意欲とかやる気、
つまり、
アンビシャス(大志)がないことには立ち上がりません。
◇なんかまだつづくみたいですね…。
このあたりが前回のつづきですね。
◆ふふん、ふけい。
ふひ、ふはつ。
◇またなんか変なこと言おうとたくらんでるんですか?
◆意味として非という言葉にはですね、
誤謬、間違い、あやまり、問題、欠点、罪、非難されるべき所、責任を問われる点、落ち度・・・などがあります。
不非不発っていうのはね、自分自身がダメなんだってことに気付いない人には、何言っても無駄だっていうことですね…。
◇…いきなり主題がはじめられると、わたしってなんか突っ込みばかりしてる嫌な人みたいじゃないですか?
◆え、ちがうの?
◇ちがいますよ!おかしな言い方はやめてください!単にボケたらツッコミを入れるっていうのは、一般的な流れなだけですから。
◆君にとっての一般常識が、世間のそれと同じものなのかどうか。
また、世間一般に普通のこととされている基準が、本当に真実な正しいものであるかいなか。
◇理屈なんてどーでもいいから、早いとこ進めちゃってください!
ふひふはつの話なんでしょ!
◆『非の打ち所がない』
って言ったら・・・・・
完全、完璧、完全無欠。
無謬(むびゅう)にして、最善、最適、最高、最上。
100点満点で理想的。
絶対的で、絶妙にバランスがとれてて、
一分のすきもなくって、
どこにも欠点がなくって、
パーフェクトで、
すべての目標が達成されることとか…。
◇『どうにかしたくってどうにかしたくって仕方がないッ!』
っていうくらいの熱血さがなければ、
『教えの言葉を発してやらないぞ』
っていうのは、
『理想とする目標を高い次元に設定しておきなさい』
ってことで良いですね。
◆そういうことです!
決して孔子先生がツンデレだったからなんじゃなくって、
つまり、そういう完全無欠のR&R状態が理想的なんだぜベイベーってことですね♪
◇・・・・・なんかもう、どーでも良くなってきそうなんですが、
憤るくらいの勢いを持たないと、啓蒙(教育)してもらえないなんて、
学問の世界って本当はすごい厳しいんですね。
◆でしょ!?
でも大丈夫です♪
今回で最大の重要テーマをおさらいしてみましょう!
◇『教育者という存在は、
教えたいという情熱の激しさを持つ』
ってことでOKですよね?
◆そして、そのことに
『気付いてさしあげられるかどうか』
あるいは、
『応えてさしあげられるかどうか』
このあたりが実は、すごい大切なんですよ♪
◇引き寄せの法則って、
人生の学びってことで、
結論付けたいんですか?
◆んー、
それは、そうなんですけれども。
教えを学び、
身に付けて、
成長できるかどうか。
◇だからそれも、引き寄せの法則に当てはめられるんですよね?
◆学問の世界では、
人が成長するかしないかは、人間としての存在意義にかかわる大切な問題です。
◇引き寄せの法則でもそうなんですよね?
◆学問は、知恵の研鑽であり、単なる知識の蓄積ではないです。これもすごく重要なことです。
頭脳的意識が情緒的意識より優位にくるというのとはちがい、本当に偉大な徳を身につけずにいたら、ダメダメなんです。
◇『志学の精神』がない、やる気のない弟子に対しては、孔子先生は二度と教えるつもりはないと厳しい宣言をしていますが。
◆自分で調べず、考えもしないで、すぐ他人に聞く人ですね。
そういう人に対して、
「アセンデッド・マスター」は、
つまり、
『人類の精神的な方向性を先導してくれる、高次元存在なる聖賢明哲の祖師達』は、
冷酷無慈悲にさえ感じる、厳格な態度を見せます。
◇幼い子供時代ならば仕方ないかもしれませんが、
大人になっても学びたいという意欲がないなら、
とんだ困り者ですからね。
◆だから
無関心、
無感動、
無反応。
それは何を意味するか?
厳しい言い方をすれば、
無責任、
無理解、
無目的。
責任を担いたくないから、自分は感知していません。
何にも理解してないから、
何にも感動したりしない。
そして、致命的なのは、
大切な目的を見失い、
必要な反応が欠落する事。
◇あてもなく、いきあたりばったりじゃ、ダメってことですね。
◆いつの時代にも、
教師と呼ばれる方々は、
忍耐強く、
我慢強く、
辛抱強く、
ご自分の子供たちを、
指導しておられます。
◇真剣な質問に対して
よく考えずに返答したり、無回答だったり、
応答不能だったりしたら、ちょっとせつないですね。
◆せつないどころか、こんな悲しい時代ってないですよ。
◇なんかノスタルジックですね…。
◆知識や学問、あるいは教養や一般的常識っていうのは、人間の顕在意識の領域にかかわるため、
意欲とかやる気、
つまり、
アンビシャス(大志)がないことには立ち上がりません。
◇なんかまだつづくみたいですね…。